ノンベーグラフ亭
ノンベーのためのグラフ亭(ティ)(=落書帖)、憩いの広場にようこそ。皆で楽しい場を作りましょう
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再開します
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月22日(木)09時36分23秒
ありがとうございます。さっそく、性懲りもなく、愛妻ネタで、再開することにしました。
引き続き、ご愛読、書き込みなどよろしくお願いいたします。
お疲れ様まです
投稿者:
弱いノンベー
投稿日:2009年10月21日(水)23時28分6秒
いやーよくこれだけ本を読みましたね。凄い。お疲れ様でした。
知は知る事だけでは無い、肥やしになりました。
知る事は、必要ですが、それをどうやって自分の生き方に反映させるか?
でも、中々出来ませんね。
気楽な楽しい話で、出切れば少し色気のある話で盛り上がりたいですね。
下品ではなく、にやっとする話なので。
お疲れ様でした
ありがとうございます
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月17日(土)15時48分37秒
ご愛読ありがとうございました。
ミニコーナーのようなお気軽ネタで、盛り上がるような話題をうまく提供できればいいな、とは思っています。
皆さんもどしどし書き込みをお願いいたします。
お疲れさまでした。
投稿者:
(@@:))/
投稿日:2009年10月17日(土)14時15分40秒
独断と偏見の読書コーナー打ち切りなんですね・・・。
独断でも偏見でも毎週続ける事はすごい努力です。
だって、本を読まないと紹介できないですよね。
きちんと読まないこともあったけど、毎週覗いてました。
ミニコーナーは参考にさせていただいた事もおおく写真もいい感じで気に入ってました。
ありがとうございました。
また楽しい独断書き込みコーナーを企画してください。
社長の椅子が泣いているー2
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月17日(土)08時39分52秒
「社長の椅子が泣いている」(加藤仁 講談社(2006年))の残りを一挙にご紹介
します。
ヤマハにおける博のキャリアの前に大きく立ちはだかり、苦しめ、ヤマハの経営を、
一時危うくさせた元凶が、「川上源一」と、その息子の「川上浩」なる人物です。
創業家の山葉一族の社長が二代続いた後、労働争議で危うくなった経営を立て直す
ため、住友電線取締役から、三代目社長として送り込まれたのが、源一の父の嘉市で
す。嘉市の座を世襲した源一は、河島博が入社当時、既に4代目社長として経営にあ
たっていたことになります。
源一の父の嘉市という人物が、かなり特異な人物だったようです。
東京帝大の銀時計組というのが何よりの誇りであったようで、自伝の四分の三を小
学校時代から、銀時計に至るまでの学業成績の記述で延々埋め尽くしていたというの
ですから、、、
一方で、人間の善悪、性格は、ことごとく顔に表れるという「骨相学」の信奉者でも
あり、また、「丸い竹も四角い枠に嵌めれば四角くなるように、人間も教育次第でいか
ようにでも変えられる」という一種の「優生思想」の持ち主でもありました。
そんな父親の子供に限って、「出来が悪い」のも世の習い、というか皮肉なもの。
何かにつけて、父親と比較され、プレッシャーをかけられる毎日。期待に応えられな
い不甲斐なさ、、、、、、、銀時計の父に対して、高等商業卒業がやっとの自分、、、、それ
やこれやが、源一の人格形成を大きく歪め、劣等感の裏返しのような尊大で、独善的
な人物を作り上げてしまった、と言えそうです。
それでも、社長の息子だからということで、世襲で社長になれるのが、日本的経営。
1950年、社長に就任してからは、それまでの鬱屈感、劣等感を吹き払うかのよう
に、ワンマン経営に乗り出します。
社内での呼び名は、「源さま」、そして、会社の役員、幹部といえども「家来」と呼ん
で憚らず、その独裁ぶりは、俗に「川上天皇」とも呼ばれました。
とはいえ、河島の入社当時、源一は遠い存在。常に自分の頭で考え抜き、行動するこ
とを信条に、支店、本社営業本部の責任者として、のびのびと経験を積み重ね、実力
を蓄えていきます。
怜悧な経営手法だけでなく、社員とのコミュニケーション、人使いの妙といったワザ
も自分のものとする一方、広く音楽業界、ミュージシャン、アーティストたちとの人
脈を広げ、大きな営業成果につなげる自在な経営も河島一流のもの。
彼自身の大きな飛躍のきっかけとなったのが、6年半に及ぶアメリカ現地法人の責任
者としての経験でした。源一の思いつきのような発想から出たアメリカ進出でした
が、言葉の壁を乗り越え、ゼロからの楽器マーケットの開拓、当時、既に手がけてい
た二輪、スノーモビルの販売などに腕を揮い、利益面で日本の本体をさせる支えるま
での規模に押し上げます。
一方、源一の多角化路線は、高度成長路線という追い風と、優秀な技術者、スタッフ
に支えられて、一旦、成功は収めていたものの、独裁体制の歪と社内抗争の激化、戦
略の行き詰まりなどを露呈し、経営は大きく傾くことになります。
源一の思いつき経営と社内政治に翻弄されながらも、真摯に、仕事に取り組んだ河島
は、紆余曲折を経て、77年、源一のあとを継いで、第5代目社長に就任するのです。
「足元の明るいうちにグッドバイ」の名言とともに、会長に退いた源一ですが、もと
より、グッドバイするつもりは、さらさらなく、当然のごとく、院政を敷きます。
いよいよ、社長として、これまでの集大成として、思う存分、腕を揮えるはずの河島
の前に立ちはだかる会長という存在。
既に入社していた息子の浩を盛り立てろ、成果を挙げさせろ、早く常務にしろーー
親バカ丸出しの会長の圧力と戦いつつ、懊悩しつつも、全力で経営に当ります。
ところが、社長就任から、3年半。河島は、社長を解任され、源一会長が、社長に復
帰するという驚天動地の事態が起こります。
順調に経営を立て直しつつある中での、クーデター的な社長解任騒動は、マスコミで
も大きく取り上げられました。源一がいかに取り繕おうとも、このままでは、河島政
権が長期化し、息子の社長の目がなくなる、との源一の強い危機感が取らせた見境い
のない卑劣な手段でした。
胸の内の思いは、すべて飲み込んで、河島は退任します。
83年に予定通り息子の浩を社長に据えますが、彼は、父親ほどのカリスマ性もなく、
典型的な二代目(嘉市から数えれば三代目)というタイプ。
著者も、浩について、周辺を取材していますが、その業務遂行や事務処理の能力を評
価したり、人柄に共感する声は全くなかったというのですから。
技術者のこんな声があったという。「本人は、いっぱしの技術者のつもりでいる。耳
(音感)もいいと思っている。アメリカ現地法人のマネージャーを前に、「アメリカ人
は耳がわるい。教育しなくちゃいかんなあ」と真顔でいう。傲慢にして、軽卒ですよ。」
また、ヨーロッパ在住の日本人が、浜松の本社を訪れた時、浩は、「ぼくは6回も7回
も渡仏してるのに、ミッテラン(当時の仏大統領)は何回日本に来たの?」と公言し
たという。いったい自分を何様と思っているのか、その場のヤマハ関係者は二の句を
つげなかったという。
「俺の会社」を息子に継がせて何が悪い、と思い込んでいる父親と、甘やかされ放題
で、社長になるのが当然だと思っている傲岸不遜な息子ーいかにもの日本的風景にう
んざりします。
さて、親の七光りで社長にはなったものの、案の定、経営手腕もなく、人望もないま
まに、社内のモラルは低下する一方。遂には92年、労働組合から、「出処進退申入書」
を突きつけられる事態となり、浩は退任を表明します。三代にわたる世襲劇は、その
後もヤマハの経営に影を落とし、再建まで、約10年を要することになります。
社長を退任した河島ですが、ダイエーの中内社長に見込まれ、副社長として迎えられ
ます。そして、得意の経営手腕で、見事「V字改革」と呼ばれる業績回復を成し遂げ
ます。
また、その間、倒産したミシンメーカーのリッカーの再建に取り組み、見事再生させ
るなど、華々しい成果を挙げるのです。
しかしながら、優秀な側近を次々と使い捨てにし、息子への世襲に突き進む中内流に
は、所詮容れられず、97年に、副会長職を最後に、退任し、07年に亡くなってい
ます。
経営能力、人格、識見ともに極めて優れたものがありながら、世襲という大きな壁と
二度にわたり全力で戦わざるを得なかった運命の皮肉と不条理。
人間の品性、品格とは何か、人生とは何か、運命とは何か、、、、そんな重いことを考え
させる極上の一冊です。
さて、長らく、「独断偏見読書録」をご愛読いただき、
ありがとうございました。
既報のとおり、読書録を中心とした書き込みは、今回をもって、
打ち切りとさせていただきます。
これからは、皆様の身近な小ネタ、ニュース、役立ち情報などを、
「気軽に」そして「自由に」書き込んでいただき、このコーナーを
盛り上げていっていただければ幸いです。
私も、気が向いた時には、お気軽ネタなど提供して、
盛り上げに一役かえればと思っています。
引き続きよろしくお願い致します。
コーヒー通さんへ
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月12日(月)19時47分20秒
確かにそうですねぇ。
私なりには、いろいろ工夫してきたつもりですが、どうしても堅いテーマが中心になるので、気
軽な話題を書き込むには敷居が高くなってしまった、という面はあるかもしれません。
そして、結果的に私自身のための掲示板のようになってしまったのも、事実です。
スタートして、2年あまり。存分に書かせていただきましたし、個人的にゆるゆると書き込む場
も別にありますので、ここは一旦、身を引いて、いろんな人に、幅広い話題を、気軽に書き込ん
でもらえる掲示板にするのが、いいかなと考えます。
前回の続きがありますので、次回に残りを一挙に掲載し、私の書き込みは、打ち止めにしようと
思います。
ご愛読いただいた皆様方ありがとうございました。 亭主 敬白
ここは
投稿者:
コーヒー通
投稿日:2009年10月11日(日)23時52分13秒
前には、少し盛り上がった掲示板でしたが、最近は管理人さんだけのページに
なってますね。
社長の椅子が泣いている−1
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月10日(土)08時53分32秒
自閉症の人たちのための市川の絵画教室を「見学」してきました。
当日は、8人の生徒さんの参加でしたが、思いのほか整然と、運営されていました。が、ここに至るまでには、関係者の大変なご苦労があったのだろうな、と頭が下がります。生徒さんとのコミュニケーションの難しさにあらためて戸惑う一方、個性豊かな作品に接することもでき、貴重な体験ができました。
以上、今週もグレローニュースは、USO800Khzでお送りしました。
★
「社長の椅子が泣いている」(加藤仁 講談社(2006年))というちょっと刺激的なタイトルの本のことを知ったのは、佐野眞一の本の中でのこと。
久しぶりに感動した本なので、4回にわたり、詳しく紹介しようと思います。
名門の出でもなく、世襲でもなく、本当の実力だけで、兄弟揃って、日本を代表する企業の社長の座に就くというのは、稀有なことといえる。
本田技研工業の二代目社長「河島喜好(きよし)」(兄)と、日本楽器(現ヤマハ)の第5代目社長「河島博」(弟)の例がまさにそれです。
浜松で生まれ育った兄と弟は、極めて仲の良い兄弟で、戦後まもなく、それぞれ、高等工業学校、経済専門学校を卒業し、当時としては、地元の一企業に過ぎなかった本田技術研究所(後の本田技研工業)と日本楽器に入社します。
なお、後々ライバル社のトップ同士という立場に立った時、世間の目を意識して、最低限の付き合いに終始しますが、二人の信頼関係は、終生変わることはなかったことが、本書でも随所で述べられています。学ぶべきところ大です。
さて、兄の喜好は、オートバイ開発の技術者として、順調に経験を重ね1973年、45歳の若さで、二代目社長となります。7人いたといわれる候補の中から、技術力、経営センス、人柄などで、宗一郎が指名しただけあって、在任中は、アメリカ現地生産工場の立ち上げ、ヤマハとの二輪車のシェア争い(奇しくも、この分野では弟とライバル関係になる)での勝利など赫々たる業績を挙げ、1983年に退任します。
猛烈な努力があったからこそですが、経営者として、まずは申し分のない順調な一生 であったといえるでしょう。
一方、弟の博の一生(特に後半生)は、まさに波乱万丈といっていいでしょう。そして、それこそが、この本を貫く大きなテーマとなっています。
(以下、次回に続きます)
<ミニコーナー>
「古代カルタゴとローマ展」(大丸ミュージアム・東京 10月25日(日)まで)に行ってきました。
カルタゴといえば、かつて、地中海を支配し、前8世紀頃〜前2世紀頃にかけて、繁栄を極めた通商国家です。紀元前3~2世紀にかけては、古今最高の名将ハンニバルのもと、ローマと覇権をかけて、三次にわたるポエニ戦役を戦い最後は敗れます。ローマ、イタリアをテーマにした展覧会は、ままありますが、「カルタゴ」に焦点を当てた展覧会は珍しいと思います。
テラコッタの素朴な像、金属製品なども目を引きましたが中でも、カルタゴの豪商たちの邸宅を飾った精緻なモザイク壁画に目を奪われました。往時の繁栄ぶりを偲ばせる圧倒的な迫力です。
規模は決して大きくないですが、上質な歴史の遺品が並ぶお奨めの展覧会です。
詳しくは、
http://www.daimaru.co.jp/museum/
(画像は、同HPから)
コロンブス以前のアメリカ
投稿者:
作家モト
投稿日:2009年10月 3日(土)09時05分38秒
先週も、神保町の案内所でのボランティアをしてきました。4回目になります。
M大学の学生さん二人が新たに加わりました。二人とも飲み込みが早く、積極的に
案内に取り組む姿勢に、大いに好感を抱き、頼もしく感じました。
明日は、マスターがボランティアをされている市川の絵画教室の「見学」に行ってき
ます。感想などは、来週アップの予定です。
以上、今週もグレローニュースは、USO800Khzでお送りしました。
★
だいぶタイミングを失してしまいましたが、歴史ものをご紹介します。
「1491」(チャールズ・C・マン NHK出版)がそれ。
副題に「先コロンブス期アメリカをめぐる新発見」とあるように、1492年のコロ
ンブスによる新大陸の「発見」以前のアメリカ大陸がどんな姿であったのか、につい
て近年、驚くような発見が続いているらしい。ヨーロッパ中心の歴史観に大きな転換
を迫る本です。
ヘタな紹介より、出版当時の日経新聞の書評(07年9月)から、一部、省略して引
用することにします。(手抜きですいません。あまりにも的確な書評なので、、、、、)
「コロンブスが新大陸に到達した1492年以前のアメリカ両大陸には、ヨーロッパ
全土より多い1億人もの人が住んでいた。ボリビアの僻地の僻地とされる・・・・ベニ地
方には、南米で最重要な共同体が3000年以上前に存在していた。・・・・・ベニ王
国は人口百万で世界一。のっけからこれは驚きである。
著者は科学ジャーナリスト。・・・・・600ページを超す大著だが、じっくり取り組
めば、世界史の空白を埋めるスリリングな読書体験になろう。全米年間最優秀図書に
選定されただけのことはある。
ベーリング海峡が陸でつながった時期よりはるかな昔、農業革命(新石器文明)以前
にユーラシア大陸を去った人々が古代文明を築いていた。独自にトウモロコシやカボ
チャの品種改良に成功し、・・・・インドよりも先にマヤで数字のゼロを発見した。・・・・・
西欧文明との出会い当時、中米には、マヤ文明を引き継いだアステカ文明が栄え、南
米アンデス山中には・・・・・世界一の大インカ帝国が支配していた。それがいずれ
も数十年で消滅した。
インカ破滅の原因は、ピサロらの鉄器と馬ではなく、天然痘と神権体制と内紛であっ
た。
ミシシッピ川流域に密集していたアメリカ先住民の大集落は百年で消滅した。この原
因も、・・・・人と動物への急性感染(炭疽病、結核、天然痘など)であった。・・・・・」
(大阪府立大学名誉教授 金子 務)
いかがですか、なかなか興味深いテーマでしょう。
<ミニコーナー>
10月になって、朝晩はしのぎやすくなりました。
ところで、ミュンヘンの10月は、大ビール祭
<オクトーバーフェスト>
の季節。
以前、この時期に行き合わせたことがあります。写真のような大型体育館並みのテン
トが、ビール会社ごとに設営され、広い公園を埋め尽くします。
奥の方は霞んで見えないくらいの熱気と喧騒の中で皆んな楽しく、ぐいぐいビールの
ジョッキ(日本の大ジョッキより遥かに大きい)を空けている。我々のグループも、
なんとか席を見つけて、飲むには飲みましたが、ドイツ人のパワーに圧倒されっぱな
しでした。
書き込んじゃいました!!
投稿者:
わたみん家の店長
投稿日:2009年 9月27日(日)06時11分32秒
いつも、ありがとうございます。わたみん家の店長の叶井です。
たまに見させていただいてたんですが、意を決し、書き込んでしまいました!!!
わたみん家のことを書いてくれて、ありがとうございます。
スタッフに自慢しますね(^^)
ぜひぜひ、いつでもみなさん、お待ちしてるんでいらしてください!
常に期待に応えれるようスタッフ一同一丸となって精進していきます。
自分も今度、休みの日に伺わせていただきます!!
以上は、新着順21番目から30番目までの記事です。
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