曹洞宗にもの申す
曹洞宗宗門関係者の皆さんへ
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この掲示板が生まれ変わる日
投稿者:
智(慧)の声
投稿日:2009年10月12日(月)23時14分32秒
>仏陀の弟子さんの言う通り。論点をごまかしてはいけない。
ここは「曹洞宗にもの申す」唯一のメディアです。
揚げ足取りの個人攻撃する場ではないはずです。
ところで監視人さんにお願いします。
宗門改革をまずは第一に据えてもらいたいものです。
あなたの口から、このような言葉を公の場で引き出せた価値は大きい。
自らの誤解と発言に反省の弁がない点は多少気にかかるが、少なからず
役割は果たせたのではないか。
まさに仏陀の弟子さんや風林火山八王子さんの言う通り。論点をごまか
してはいけません。揚げ足取りの個人攻撃は一切なしでお願いしますよ。
あなたが生まれ変わった日を忘れない人たちがいることを決してお忘れ
なく。今後も智の声としてこの掲示板を見守っていきたいと思います。
今後は“固有の思想”に特化した扇動的物言いを慎み、若い宗侶の方々
のお手本になるような、またこの掲示板を訪れる一般の方々から失笑を
買わないような、智慧と理性に基づいた書き込みに終始願います。
これは何度も言うように、仏教者からのお願いなのです。
(無題)
投稿者:
地の声
投稿日:2009年10月12日(月)20時59分26秒
仏陀の弟子さんの言う通り。論点をごまかしてはいけない。ここは「曹洞宗にもの申す」唯
一のメディアです。揚げ足取りの個人攻撃する場ではないはずです。
ところで監視人さんにお願いします。宗門改革をまずは第一に据えてもらいたいものです。
因みに私は数年前ムンバイに行きました。ダリットの村を数箇所訪れ、その実態を調査する
ためでした。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
いかがなものか
投稿者:
仏陀の弟子
投稿日:2009年10月12日(月)19時40分9秒
全国寺院に起こる事態である。
墓の造成・養護施設・老齢施設・納骨堂・新規事業に関連して
その責任は住職。
曹洞宗住職罷免されても真の追求はされない。
幾つもの寺院は前住職に、責任負わせて終わり。
寺院の方に偏り粛々と競売・身売り。
2月22日〜26日ここでも討論された
安國寺檀信徒の大多数の署名が、集まった陳情書は無視された。
昨年(2008年)12月19日のこと。人格は傷つけられた。
安國寺檀信徒が、和田住職の継続を願った署名陳情書は、524軒分も集まる。
600軒檀家の87%以上、人数にすれば1000人以上。
長澤総代が、宗務庁で須川法昭・総務部長と池田年孝・総務課長に手渡した。
檀信徒が嘆願し署名を集めても、正しい行いは無視されている。
安国寺檀信徒の切なる願いに、虚しく人格は傷つけられる。
檀信徒の為、寺院の為を思い努力されている、良識あるご住職に対し、
宗門のご都合だけが許されるのであろうか。
宗門の理不尽な判断で門前払い。
檀信徒は共生できず、「寺離れ現象」になれと言うのか。
論点を誤魔化す書き込みはお断り。
曹洞宗の為に成る書き込みを頂きたい。
そろそろ話題を本質に戻していただきたいのですが!!
投稿者:
風林火山八王子
投稿日:2009年10月12日(月)15時10分14秒
編集済
地の声さんの投稿に関し色々とご意見があることはわかりますが、
以前、千代川氏から下記のような投稿がありました。
>「地の声」氏批判について 投稿者:千代川宗圓 投稿日:2009年10月2日(金)22時06分
>地の声氏の“固有の思想”に関する話題は、彼の掲示板でやっていただきたいものです。
>
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
>その際、地の声氏は、即、削除や参加制限をしたりせず、度量の広さを示していただきたい。
>「改革」にはいろんな手法や考え方があるものです。
>大人の対応をお願いします。
とありますので、地の声氏のHPで意見交換をしていただいたほうがいいと思います。
(地の声氏とそれに関して意見を言われておられる両方の立場の方々へのお願いです。)
この掲示板を立ち上げた千代川氏の本意とはかけ離れて行っている様な気がいたします。
また、個人意見に対しての意見発表は大いにあるようですが、
問題本質に係わる話題に関しては、極端に意見(感想)が少なくなるように感じられるのは自分だけでしょうか?
また、勉強不足なので、この所の投稿が難しい言葉を使い、煙に巻くような文章に終始している所もあるような気がいたします。
仏教の経典に関しての本質的議論は素晴しいと思いますが、
現在の実社会に生かされなければ、何もならず、言葉遊び(文字の知識のひけらかし)になってしまうような気がしています。
現代実社会において、生きた(生かした)教えを実行し、檀家にわかりやすく教え導いてほしいと思います。
それが出来るお坊様こそ、本当に道元様の教えを理解し、実践していると言えるのではないでしょうか?
T.K生さんに共感
投稿者:
T.K生さん支持
投稿日:2009年10月12日(月)12時17分58秒
そうなんですよ!
地の声さんにも、それはそれとして、割り引いてガンジーやウガイポスターの件も咀嚼して欲しいんですよね。
単純に「それはそれとして分離論」を持ち出して、何でも批判の種にしちゃいけません。
物事そんな簡単に一刀両断に切れるわけじゃないですから。
みなさん、そのことを一貫して言っておられるのであって、悪意があって攻撃しているわけじゃないと思うんですよ。
それはそれとして、
投稿者:
T.K生
投稿日:2009年10月11日(日)22時46分34秒
割り引いて地の声氏の投稿を咀嚼すればいい。
(無題)
投稿者:
宗侶さん応援
投稿日:2009年10月11日(日)20時54分47秒
どぅみても 地の声師 は 左翼でしょ
因みに私は 救う会の会員でブルーリボン
を絡子に付けてますょ
地の声氏の「それはそれとして分離論批判」に対する批判
投稿者:
宗侶支持!
投稿日:2009年10月11日(日)17時47分43秒
編集済
地の声氏は幾度となく「実践の観念論」と銘打ち、以下の和田
献一氏の見解を引用して「それはそれとして」という分離論批判
を展開している。
----------------------------------------------------------
「それはそれとして」という、私の耳に非常に強烈に残っている
言葉ですが、これは曹洞宗の住職さんが言ったわけです。私たち
の追求の中で宗祖の教えに立ち返る、「それはそれとして」教団
の維持、寺院の運営というのがあるんだと言う。この「それはそ
れとして」という言葉が非常に印象に残ったわけです。宗祖の教
えと教団の維持は両立しないということを言っているのだと思
うのです。(和田献一著『実践の観念論を糾す』
(曹洞宗ブックレット宗教と差別10 p.18)
----------------------------------------------------------
さらに地の声氏は、上の和田氏の見解を受けて、最終的に
>「それはそれとして」という分離論は、非仏教的なるものまで
>容認する実に危険な発想なのである。
と結ぶのである。
ちなみに、上に述べた地の声氏の主張は、以下の見解からの
引用である。参考までに参照されたい。
http://www2.rocketbbs.com/625/bbs.cgi?id=chinokoe&mode=res&resto=1064
氏の主張は、ある意味極めて正論で頷ける部分が多々ある。
しかし、地の声氏の言葉を借りれば、そこに「一見、妥当な、
抑制の利いた大人びた意見に見える。しかし、そこに大きな落と
し穴がある」と思わざるを得ないのは私だけだろうか。
では、この地の声氏が唱える「実践の観念論」批判(「それは
それとして」分離論批判)を踏まえて、次の同じ地の声氏の主張
を見ていただきたい。多少長めの引用となるが乞容赦。
----------------------------------------------------------
最近、曹洞宗特に宗門の役職にある者たちが絡子にブルーリボン
バッジを付けているのが目だつ。拉致問題が人権問題なのは当た
り前のことだが、いささか異議がある。
拉致問題を考えるとき、まず第一に北朝鮮人民共和国とはどんな
国なのかを正しく認識することが肝要である。
この国は同国を国家としていまだ承認していない。さらに言えば、
日米安全保障条約から現在でも「交戦中」(正しくは休戦中)す
なわち敵国の関係にある国である。もちろん彼の国も日本に対し
てその認識を持っている。
日本といわゆる「北朝鮮」は戦争中なのだ。戦時下では、あらゆ
る法が無視されてきた。これが戦争というものなのだ。拉致・殺
害・強奪・レイプ‥いまでも世界の紛争地では当然のこととして
おこなわれている。だからわたしは戦争に反対する。
1970年代、米中が日本の名古屋で開催されたピンポン外交をきっ
かけとして歩み寄った。その結果まずは日中国交回復がおこなわ
れ、その後中米が国交を樹立した。そして今や米中は経済的に切
って切れない関係にあり、相互の交流は深まるばかりである。恐
らく皆さんは驚かれることだろうが、米軍の兵士の徽章は現在、
中国製である。
拉致問題の解決は、日本と「北朝鮮」の国交樹立に懸かっている。
両国が日中国交回復の如く歩み寄り互いに協力しあう関係を樹
立したとき、はじめて拉致問題が解決する。
感情論は戦時中の得意技であることも想起したい。鬼畜米語・ジ
ャップなど。国家や民族を劣等視するのは相互理解という理想を
捨て排撃攻撃するための伏線である。
世界平和を願うはずの曹洞宗が、なぜに偏ったブルーリボンを絡
子に付けるのか大いに疑義がある。あるいは、何の意味も理解で
きず、ただ単に「流行りのハンテン」を着ているだけなのだろう
か。しかし立場上、その責任は免れないことは知っておいたほう
がいい。米中関係から米「北朝鮮」国交樹立が頭越しで行われる
ことは火を見るよりあきらかである。そうなったとき、恥をかく
のはあなた(曹洞宗)である。ブルーリボンバッジはやめたほう
がいい。歴史や経済を学び、もっと賢くなれと言いたい。
仏教者として、怒りをあおるのか、あるいは真の相互理解と平和
を願うのか。まさに大きな局面であろう。
----------------------------------------------------------
ちなみにこの主張は、地の声氏が運営する掲示板の2009年2月1
日に書き込まれた内容でもある。
この主張も、平和の成就を前提に、戦時下の特異な状況を考慮
しつつ、我々が北朝鮮という国を受け容れて行く必要性があるこ
とを述べる極めて冷静な主張と言えよう。
しかし、この双方の主張を見比べた時、言い知れぬ違和感を抱
くのは私だけだろうか。
この双方の主張に、氏のイデオロギーの根幹を揺るがし兼ねな
い大きな自己矛盾があることを指摘したい。
なぜなら、宗門が三大スローガンに掲げる人権・平和に関して、
自らの掲示板で舌鋒鋭い批判を日本や曹洞宗に投げ掛けている氏
が、北朝鮮の拉致問題に関しては明らかに寛容な態度を見せてい
るからだ。
しかも、その拉致問題を
>戦時下では、あらゆる法が無視されてきた。これが戦争という
>ものなのだ。拉致・殺害・強奪・レイプ‥いまでも世界の紛争
>地では当然のこととしておこなわれている。
という一見理性的な正論を盾にして擁護しているかのようにも
思える。
これを自己矛盾と言わずして何と言うのか。
この「戦時下では、あらゆる法が無視されてきた」という条件
を盾に使ってしまえば、それこそ当時の日本や曹洞宗の戦争責任
まで擁護の対象となるのではないか。
なぜ同じ戦時下の状況にも関わらず、北朝鮮の拉致問題は擁護
の対象で、日本や曹洞宗の戦争責任は批判の対象となるのか?
そこに論理の一貫性が感じられないのである。
その氏の論理の構図における矛盾点を宗侶氏は冷静に指摘し、
漢詩人氏は「自分のイデオロギーに都合のいい部分だけを利用し、
特定の個人や団体を攻撃するために利用していませんか?」と
批判するのでなかろうか。
この矛盾は、不特定多数の方が目にするこの掲示板という場で、
地の声氏が明確な固有名詞を用いて批判を展開する以上、決して
看過することができない問題である。
もちろん平和を願う前提として、我々も北朝鮮という国に対し
て理解が必要だという主張には論を待たない。
しかしその立場と、「それはそれとして」分離論を自分に都合
良く使い分け、特定の個人や団体を攻撃することの代償として
容認することとは全く次元の違う問題だ。
ここまでくると、氏がいくら仏教の「中道」を自称しようとも、
あらゆる主張は単に絵空事にしか聞こえず、初めから反体制あり
きの左翼ファッショにしか映らないのは私だけだろうか。
人権・平和を掲げ、日本や宗門の戦争責任を追及する立場で
あるなら尚更のこと、北朝鮮の拉致問題に対しては敏感でなけ
ればならない。
でなければ、氏の主張にはこれ以上正当性や説得力が見いだせ
なくなってしまう。
氏のこれまでの辛辣な批判を見れば、右派左派関係なく、それ
こそ背負うイデオロギーの違いをも超えて、「是は是、非は非」の
態度を貫くべきであろう。
明らかに「それはそれとして」分離論を批判の根底に据えてきた
氏が、北朝鮮の拉致問題に関しては「それはそれとして」分離論
を当てはめ、情状酌量の余地を求めるかのような行為は自己矛盾
でしかなく、節操を欠く行為に他ならない。
まさに氏の論理破綻を象徴する一事例とも言えるであろう。
その意味において、地の声氏が唱える政治的主張の数々は、ヘコ
タレずに客観的検証を重ねてきた結果(智慧と叡智の結集)では
なく、漢詩人氏が指摘をする自らに都合の良い情報だけを利用し、
特定の個人や団体を攻撃するための手法でしかないのだ。
まさに氏は、今こそ自らが唱えた
>仏教者として、怒りをあおるのか、あるいは真の相互理解と平和
>を願うのか。まさに大きな局面であろう。
という言葉の意味を、深く自問自答すべきなのである。
仏教者として「怒りをあおる」表現に終始しているのはどなたか?
「真の相互理解」を妨げる物言いに終始しているのはどなたなのか?
それに気付くべきである。
これも決して悪意をもった攻撃ではないことを一言申し添えて
おく。この掲示板が単なる誹謗中傷の巣窟とならないことを願う
一人として。
(無題)
投稿者:
独り言
投稿日:2009年10月 8日(木)15時23分30秒
かの議論における「中道」とは、他を攻撃することで自らの正義を
際立たせることではなく、自らの正義の実践(提示)をもって他が
自ずと埋没していく構図を指して言うのであろう。
ここで言う「中道(正しさ)」とは、二極間の互いの闘争により勝ち残る
“正しさ”ではなく、それこそ智慧と叡智の結集により結果的に万民から
支持を受ける“正しさ”でなければならない。
これなら正義の名のもとに「戦争」が繰り返される悲劇は起こりようがない。
確かに青臭い理想論かもしれないが、仏教は少なくともその理想を目指すべきだ。
それを補完する社会装置として三権(立法・司法・行政)は機能すれば良い。
宗教は宗教の役割を果たせば良いし、その果たすべき役割以外の成果を我々は
三権に委ねれば良いのだ。
宗教が社会的要請に応じながらも、そこに埋没することなく一線を画さなければ
ならない点はそこにあるのかもしれない。
ここでの議論を目にして、ふとそんなことが頭を過ぎった。
あくまでも「理性的」に
投稿者:
中道支持!
投稿日:2009年10月 8日(木)12時18分36秒
「地の声さん」は恐らく私の辛辣な批判をみて怒りを覚えたのでしょう。
逆に「漢詩人さん」や「宗侶さん」に迷惑をかけてしまったかもしれませんね。
ちょっと言葉を慎まなければなりません。今回はあくまでも「理性的」に。
しかし、「地の声さん」は以前ここでも
>私は「左翼」ではありませんし、まして「右翼」ではありません。仏教者です。
敢えて言えば「なかよく」(=中道)です。
私は問題を単純に二極化しているものでもありません。
とか言っておられたので、あくまでも仏教の「中道」という精神を大事に
される方なのかなと思ってました。
しかし、最近のここでのやり取りを見てふと気付いたことがあります。
「宗侶さん」は、ガンジーの立場に立つ際にアンベードカルを一切批判していない。
「地の声さん」はアンベードカルの立場に立つ際にはガンジーを「徹底した差別者」
とまで侮辱する。
この違いは何???
どっちが中道(なかよく)???
どっちが仏教的???
果たしてガンジーは「徹底した差別者」とまで侮辱されるような方なのでしょうか。
だから「宗侶さん」はガンジーを擁護する際にもアンベードカルを一切批判して
いないのでは? 問題を単純に二極化しているのはどちらでしょうか。
ふとそんなことを考えてしまいました。
もしかして、そのことを「宗侶さん」は憂いているのかなと。
しかし、今回は少し納得した部分もありました。
「地の声さん」が自らをアナーキストと自慢げにおっしゃり、それを最大のほめ言葉
と感じておられる方ならこれまでの議論も納得です。
でも仏教の名を借りて、これ以上自らのアナーキズムに酔いしれるのはここでは
やめてもらえませんか?
確かにあなたに比べたら私たちは力不足ですが、少なくとも私たちはあなたのような
アナーキストではなく仏教者なのです。
自らの思想信条に基づく攻撃のみに特化した改革論議(プロバガンダ)はもう
うんざりです。正直ついていけないと感じるときがあります。
もっと私たちも与することができる智慧と理性に基づいた提言をしていただけませんか?
これは仏教者からのお願いです。
ホントしょうもない話ですが
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 8日(木)00時48分57秒
編集済
地の声さんの如く、ホントしょうもない話ですが、私からも一言。
これを本当に最後にしたいですね。
前回も申し上げましたが、貴殿は本当に脇が甘い方ですね。
確かにそうです。私はもっと「お勉強」が必要みたいです。
私の真意が貴殿に通じない以上、私も自らの力不足を認めざるを得ません。
ちなみに私は、前回の書き込みで次のような見解も合わせて述べました。
>しかし、何度も言うように、その過激で煽動的な手法を用いなければ、貴殿の意図するところは我々に十分通じるのですよ。
私はそれを一貫して言っているのです。
ゆえに、他の方から「悪意ある攻撃」ではなく「善意ある忠告」と評していただけたのだと思っております。
例えば、この問題も私たちが仏教徒であるならば、既述もしてきたようなガンジーの歴史的評価とは一線を画し、やはり我々は貴殿同様、アンベードカルの立場に立つべきなのです。
彼の思想的背景が仏教に依っている以上、貴殿の主張はある意味正しいのです。
しかし、それのみを論拠(免罪符)として、ガンジーを「徹底した差別者」と言い切ってしまうのは、逆にガンジーの政治的功績に対する無知としか言いようがないのです。
貴殿の主張に「アンベードカルとガンジーの対立」が見て取れた際に、このままいくと時系列で佐々井秀嶺師の名前を持ち出してくることは容易に想像できました。
上の私見(引用)にも述べましたが、我々が仏教を標榜する以上は、やはり貴殿同様、私たちはアンベードカルの立場に立つべきなのです。
それこそ「カースト制度の容認」というキーワードのみを以て両者の対立を計れば、ガンジーはまさに「批判」の対象でしかありません。これは前回も述べた通りです。
しかし、一方でガンジーに対する「小学生並みの教科書的知識」を持ち合わせていれば、ガンジーを「徹底した差別者」とまで断罪しなくても良いという考えを述べたまでです。これはまさに「批判」を超えた「誹謗中傷」でしかありません。
それこそ漢詩人さんが言う「自分のイデオロギーに都合のいい部分だけを利用し、特定の個人や団体を攻撃」する愚行でしかないでしょう。
ここまでの「誹謗中傷」を述べれば、それは既述もしたキーワード以外のガンジーの政治的功績に対する無知でしかないと言えます。
いいですか、「徹底した」という言葉まで伏した「差別者」ですよ。貴殿にとっての「徹底」という言葉の意味をも知りたくなります。
ところで貴殿は一部の識者から、現代のインドにガンジー批判があるならば、それは信仰による問題ではなく政治問題であるという見方がされているのはご存じですか?
私個人はそれこそ「お勉強不足」なので、それが信仰による問題なのか政治問題なのかは調べる術がありません。
なぜなら、恐らくそれが「政治問題」であったとしても、それを検証する術を持ち合わせていないからです。
もっと具体的に言えば、それがたとえ政治問題であっても、それを政治問題だと認める人たちが皆無だということです。
政治問題はいわゆる「利権」が微妙かつ複雑に絡む現実がありますから、それこそ客観的な分析・検証作業が必要となります。
それは政権与党が民主党に変わり、既存の政策がドラスティックに激変したことによる現場の混乱(例:八ツ場ダム問題)を見れば一目瞭然でしょう。
しかし貴殿は、恐らくその識者の見方に対しても「それは政治問題ではない」と容易に断言することが可能なのでありましょう。
でも、その「反論」の根拠を貴殿は確たる検証作業をもって立証できるのでしょうか?
結局それも、極論を言えば貴殿特有の「思い込み」でしかないということです。
何度も言うように、貴殿はガンジーを「徹底した差別者」とまで酷評した根拠は「カースト制度の容認」という一側面だけでしょう。
その酷評は、今の時代に同じ事をガンジーがしたならまだ理解できます。
しかし、前回私が提示したように、当時のイギリスの植民地であったインドの社会情勢、それに立ち向かうための国力結集としての職業的役割分担(それが結果的にガンジーのカースト制度容認に繋がったと識者は見ている)という側面から見れば、当時のインド国民会議に所属をしていた公民権運動の指導者、つまり時の民の政治指導者であれば十分許容される姿勢です。
何も「徹底した差別者」とまで言われる所以はありません。
仮にも、その政治姿勢においては、植民地解放運動や人権運動の分野における平和主義的手法としての評価もあるわけですから。
ガンジーが仏教者であったならまだしも、その政治的功績をも無視して「徹底した差別者」とまで言い切るのはやはり極端です。
確かに私見(引用)にも触れたように、私たちが仏教徒であればガンジーは批判の対象ともなり得ます。
しかし、それはあくまでも「批判」であって「徹底した差別者」とまで罵ることではないのです。
ガンジーの政治指導者としての検証もままならずして、「徹底した差別者」とまで言い切る神経はあまりにも理性に欠いています。
それを指して以前より「飛躍」と評したまでです。
私が疑義を呈したいのは、何度も言うように、貴殿のそのあまりにも突出した「飛躍」に満ちた理解と手法そのものです。
これだけ説明してもまだ「悪意ある人たちからの攻撃」としか捉えて頂けないのであれば、それはまさに私の「お勉強不足」以外の何物でもありません。
しかし、それにも増して貴殿も「お勉強不足」の極みとも言えるのです。
最後に、佐々井秀嶺師に対しても、師の仏教僧侶としての行動力には敬意を払うものであります。
しかし、それ以上の評価についてはここでは多く述べません。
私は師の全てを知っている訳ではありませんし、師の人生全てをどう評価して良いのか検証する術を持ち合わせておりません。
聞くところによると、佐々井師の魅力はその出家に至るまでの人生をも凌駕する師のバイタリティ(お人柄)にあると聞いています。
当然師と深く胸襟を開く付き合いを持った経験もなく、師の過去をも凌駕するお人柄の部分をも知る由もありません。
ゆえに多くは語らないと申しているのです。
しょうもない話ですが
投稿者:
地の声
投稿日:2009年10月 7日(水)21時00分42秒
折角、仏陀の弟子さんの投稿を下に降ろすのは忍びないことですが。
今、「地の声」批判で盛り上がっておりますので一言反論させていただきます。
ガンジーと闘ったアンベードカルの直弟子佐々井秀嶺師をどう評価しますか?youtubeで
アップされた師のビデオを紹介しましたが、総持寺で師は講演されました。恐らく聴く側
は理解できなかったのではないかともコメントしました。
小学生並みの教科書的知識で今を切ることはよした方がいいです。もっと「お勉強」しま
しょう。宗門の孕む問題の根深さに早く目覚めていただきたい。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
檀信徒の人格は
投稿者:
仏陀の弟子
投稿日:2009年10月 6日(火)16時20分4秒
2月22日〜26日ここでも討論された
安國寺檀信徒の大多数の署名が、集まった陳情書は無視された。
昨年(2008年)12月19日のこと。人格は傷つけられた。
安國寺檀信徒が、和田住職の継続を願った署名陳情書は、524軒分も集まる。
600軒檀家の87%以上、人数にすれば1000人以上。
長澤総代が、宗務庁で須川法昭・総務部長と池田年孝・総務課長に手渡した。
檀信徒が嘆願し署名を集めても、正しい行いは無視されている。
安国寺問題は審議院を経て和田老師に1年2ヶ月教師分限停止執行。
安国寺檀信徒の切なる願いに、虚しく人格は傷つけられる。
檀信徒の為、寺院の為を思い努力されている、良識あるご住職に対し、
宗門のご都合だけが許されるのであろうか。宗門の理不尽な判断で門前払い。
檀信徒は共生できず、「寺離れ現象」になれと言うのか。
誰が佛を護り、誰が法を司り、誰が僧を仕分けるのか。
人格を持つ人間として、人間として問うた言葉に
答えるのが本来ではないのか。
曹洞宗には、曹洞宗審議院以外、宗門機関以外に、
二重構造でも造られていて、決定機関が別にあるのか。
その活動、その役割が曹洞宗を壊そうとしているのか。
宗議会議員派閥に復帰する事は、有道会・總和会、正しい行いを
していると思われているのか。檀信徒の人格は、傷つけていないのか
全国の皆様にご意見をお聞きしたい。
真の改革とは一体何?
投稿者:
漢詩人・宗侶支持!
投稿日:2009年10月 6日(火)15時02分11秒
いよいよ「地の声さん」の本性見えたり、って感じですかね。
そういう意味で、「宗侶さん」の言うように本当に「地の声さん」は
脇が甘いと言わざるを得ない。それも致命的な脇の甘さですね。
ある意味、とても良い勉強になりました。
今回の「漢詩人さん」や「宗侶さん」の善意ある忠告をも、彼は
「悪意ある人たちからの攻撃」としか受け止めず、また頑ななまでの
反対のための反論を展開するのでしょうか。
今回の対応で「地の声さん」が真の意味で改革を謳う仏教者なのか、
それとも仏教の仮面を被った革○分子なのかが分かりますね。
その対応を冷静に注視していきたいと思います。
まあ、アナクロな闘争用語を並べて逆ギレする姿が目に浮かびますが・・・。
第一、多くの方々が訪れるこの掲示板上で、ガンジーを一刀両断に
「徹底した差別者」と言い切る感覚はどうなのでしょう。
ある意味、そのような人権侵害がまかり通っていいのでしょうか。
確かに「宗侶さん」も指摘をされているように、ガンジーはカースト制度を
容認した政治姿勢からアンベートカルと確執があったことは事実なんでしょう。
しかしそれは「宗侶さん」も言うように、様々な角度からの検証作業が必要です。
それこそ有識者をも交えた議論も含めてです。
それなくしてガンジーを「徹底した差別者」と決め付ける事自体、人権侵害
以外の何物でもありません。
こういう宗門の僧侶の方が、我が者顔で「人権」を語ること自体が、
今の宗門が抱える問題なのだと思います。
「人権」を叫びながら「人権侵害」を犯してしまう・・・「平和」を謳いながら
その平和のために戦争を繰り返してしまう・・・どこが違うのでしょうか。
それこそ「地の声さん」の理屈で言ったら、法の強制力を持つ法治国家は、
法による人権侵害を犯しているのでしょう。例えば、職責により死刑執行を
許可した法務大臣は、みな殺人者のレッテルを張られなければならないのでしょうか。
それはとんだ筋違いの話で、そこで問われるべきは「死刑制度の是非」であり、
「法務大臣が殺人者であるか否か」の議論では決してありません。
その理屈を持ち出すのは、法務大臣の職責を担う人物に対する人権侵害であり、
我々には「宗侶さん」が言うようなクレーマー的な姑息な手段にしか映らないのです。
今回は、その検証作業に対する脇の甘さと、自らの論理の破綻を曝け出して
しまった結果でしかないですね。
「是は是、非は非」と言うのはある意味簡単なことでしょう。独断に基づく
勝手な思い込みを是としてしまっては、最初から検証作業も何も必要ない
訳ですから。しかし、是と非は各々正当な理由があって是となり非となら
なければならないのです。
「地の声さん」は自ら掲げる是に対して、客観的視点をも含めた検証作業を
今まで導入してきたのでしょうか?その視点に耐え得るだけの論理の構築を
自らに課してきたのでしょうか?
恐らく「漢詩人さん」から今回指摘のあった従軍慰安婦問題や南京大虐殺などに
関しても、そういう客観的視点に耐え得るだけの検証作業を行わずに論じて
おられるから、「自分のイデオロギーに都合のいい部分だけを利用し、特定の個人
や団体を攻撃するために利用していませんか」という批判が向けられるのでは
ないでしょうか。
そういう双方の主張を、あくまでも中立的な立場から検証してきた人物からは、
あそこまで攻撃的な言葉や発想はまず出てこないはずです。正義の主張は単なる
独断に基づく「思い込み」であってはならないのです。
「決してヘコタレルものではない」と言い切るのであれば、その検証作業に耐える
過程において「ヘコタレ」てはいけないのであり、対立する価値観との衝突に最初から
無条件に「ヘコタレない」という闘争の姿勢を打ち出すことではないと思うのです。
辟易
投稿者:
漢詩人(監視人の私的発言)
投稿日:2009年10月 6日(火)02時38分25秒
今回の地の声氏の書き込みには、まったく納得できません。
ガンジーを「差別主義者」かのような決めつけ。
現在の価値観をもって、歴史を断罪しようとするのは、正しい態度なのか?
あなたは、ガンジーにしても、「坂の上の雲」にしても、従軍慰安婦にしても、南京大虐殺にしても、自分のイデオロギーに都合のいい部分だけを利用し、特定の個人や団体を攻撃するために利用していませんか?
今回のあなたの発言には辟易しています。
祖父が、三井物産の元社員で、ボンベイ(現、ムンバイ)駐在でした。
地方へ行く時、祖父は一等車。同じ列車の三等車(だったか?)に、ガンジーが乗車していたと聞きました。
駅舎で、糸をつむいでいたそうです。
……だからといって、あなたに反論する材料には、ならないけれど。
ひとつだけ言えることは、ガンジーは、あなたより民主的でした。
ガンジーを差別者と言い切る地の声氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 5日(月)23時31分47秒
前回の書き込みといい、本当にもう止めようと最後まで逡巡したのですが、インド独立の父の名誉と、仮にも私の意図を理解してくれた一言物申したい氏の弁護のため、あくまでも理性に基づいた反論を申し述べたいと思います。
最後の我儘として、どうかお許し願います。
これはある意味、曹洞宗侶の知性と教養までもが疑われ兼ねない問題でもあるからです。
>ガンジーもろくに知らず、軽々に非暴力と言うのはおよしなさい。彼は徹底した差別者だったのですよ。アンベートカルとガンジーの確執くらいお勉強なさい。・・・この程度の仏教理解を旗印にして、現状を改革するなど到底できるものではありません。
貴殿は本当に見事なまでに脇の甘い方ですね。
本当に、あらゆる意味で同情を禁じ得なくなりました。
一時期、貴殿に好意的な評価を寄せていた私ですが、ここでの貴殿との意見交換を通じて、本当に貴殿に宗門の改革を託して良いものかどうか不安になってきました。
一応、私も教員免許を持つ宗侶の身ゆえ、その感情を抑えつつ理性的なエール(反論)を最後に貴殿に送ります。
まず、件のマハトマ・ガンジーを「徹底した差別者」とまで公の場で規定してしまって良いのでしょうか。
彼について教科書レベルの知識を持ち合わせていれば、貴殿の仰りたい意味は分からないまでもないのですが・・・それにしても「徹底した差別者」とは言い過ぎではありませんか???
学問的立場からも、貴殿のガンジーに対する評価はかなり偏った恣意的なものに他なりません。
まず、学会などではとても恥ずかしくて口にできない言葉ですね。
確かに、当時のカースト制度を「職業的役割分担」という観点から肯定的に捉えていた彼の政治姿勢は、その側面のみを見れば「差別者」という評価が当てられても仕方のない現実があります。
しかし、氏が生涯を通じて「不可触民」制度を撤廃する活動に尽力していたことは歴史的事実で、アカデミックな分野においても彼のその姿勢は正当な評価を得ている現実があります。
政治指導者として応分の結果責任が求められ、当時のインドの社会背景を視野に入れつつ、政治的選択肢の一つとしてカースト制度を容認しつつ国力を結集させた政治手法は、十分許容される姿勢であり何も「差別者」というレッテルを張られるほどのものではないでしょう。
そこまで言い切るには、当時のイギリスとインドの関係、その植民地支配から脱するために国力を結集させなければならなかった社会的背景、なおかつその民衆指導者としての民の思いに応える結果責任、全てを勘案した上での十分な議論や検証が必要です。
それを「カースト制度の容認」といった限定的な側面のみから、軽々に「徹底した差別者」という烙印をいとも簡単に張ってしまう行為自体、あまりにも・・・暴力的過ぎやしないですか?
まさかガンジーが唱えたアヒンサーに対する当てつけでしょうか?
それこそ「軽々に非暴力と言うのはおよしなさい」と言われても・・・私だって一言物申したくなりますね。
ましてや、その非暴力(アヒンサー)という概念も、インド宗教史上長い歴史を持つこととなり、インド仏教の伝統においても何度も再生された哲学的な思索過程(歴史)があるではないですか。
以上のような経緯から、ご指摘のアンベードカルとの確執が生まれたのは必然ですが、その断片的側面のみを捉えて「徹底した差別者」と断罪してしまうその姿勢こそが・・・やはりどう理性的に見ても「飛躍」にしか映らないのです。
さすがにここまで論理が飛躍してしまうと、本当にガンジーとアンベードカルの確執について貴殿は「お勉強」しているのだろうか・・・とも疑ってしまいます。
それをもって「お勉強」というなら、私に言わせれば一方的なアンベードカルの立場のみに固執した「洗脳」の賜物でしかありません。
言うなれば、アンベードカル無謬説の立場から見た一方的な断罪でしかないということです。それこそ「思考の停止」の誹りを免れ得ない行為でしょう。
しかし、何度も言うように、その過激で煽動的な手法を用いなければ、貴殿の意図するところは我々に十分通じるのですよ。
私はそれを一貫して言っているのです。
ゆえに、他の方から「悪意ある攻撃」ではなく「善意ある忠告」と評していただけたのだと思っております。
例えば、この問題も私たちが仏教徒であるならば、既述もしてきたようなガンジーの歴史的評価とは一線を画し、やはり我々は貴殿同様、アンベードカルの立場に立つべきなのです。
彼の思想的背景が仏教に依っている以上、貴殿の主張はある意味正しいのです。
しかし、それのみを論拠(免罪符)として、ガンジーを「徹底した差別者」と言い切ってしまうのは、逆にガンジーの政治的功績に対する無知としか言いようがないのです。
これはウガイポスターを入口に私が批判をさせていただいた貴殿の手法そのものを指して言います(ウガイポスターが仏教であるか否かが主題ではない)。
我々が仏教徒であり、仏教教団に身を置く以上は、アンベードカルの立場を支持することに意味はあっても、それと対比させる形でガンジーの政治姿勢を「徹底した差別者」と一刀両断に切り捨てるのは無理があります。
それは、有識者を含めた社会一般の視点から見れば無知の極みに他なりません。
そんな手法を用いていては、宗侶や仏教教団は教養のない集団と社会から揶揄されるだけです。
これはウガイポスターに関する議論の構図と通じてくるのですが、ガンジーとアンベードカルを同じ俎上に上げ、対立の構図のもとに両者を語ること自体に仏教者として無理があるのです。
私に言わせれば、彼らは同じ時代に、政治の世界に身を置きながらも、全く異なる思想背景を持つ二人です。
同じ俎上に乗せて議論すること自体、無知以上にナンセンスでしかないのです。
ゆえに、仏教者としてアンベードカルを支持することはできても、ガンジーの政治的功績を「差別」の切り口のみで批判すること自体は、無知による愚行でしかないと私は思います。
それを声高らかに謳うこと自体、仏教者として問題の本質が見えてない・・・というか鈍感な証拠でしかないということです。
千川師へ
投稿者:
拙者
投稿日:2009年10月 5日(月)21時02分32秒
何故、師は檀信徒の90%が署名したと断言出来るのでしょうか?師はその寺院の檀信徒数を正確に把握させていらっしゃるのですか?
宗務庁に提出されている「檀信徒名簿」=「実際の檀信徒」???
この実情で「大多数」と判断するのは難しいと思います。
↓
投稿者:
???
投稿日:2009年10月 5日(月)17時33分15秒
嘆願書の内容を知らないので、何のコメントも出来ません。
寺檀問題に関する須川法昭総務部長の判断について
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年10月 5日(月)13時42分10秒
編集済
寺檀問題に関する須川法昭総務部長の判断について
私は、千葉県のある寺院の寺檀問題で、平成18年7月から、檀信徒の皆様方の相談にのってきた。
その寺の檀信徒側が、曹洞宗寺院住職任免規程第16条に基づき、檀信徒の90%が署名捺印した「住職の罷免要求」嘆願書を提出した。ところが、先月29日、須川法昭氏はこれを「大多数」とは認めず、嘆願書を檀信徒側の代理人である弁護士に返却してきた。(資料として添付)
「曹洞宗寺院住職任免規程第16条」を紹介する
(管長による罷免)
住職が檀信徒の大多数から不信任の表示を受け、宗務総長が住職として不適当であると認めるときは、管長は、これを罷免することができる。
――とある。
この文書に対し檀信徒側弁護士は、10月2日には資料として添付する通知書を、須川氏に内容証明で送付している。
私は、これら一連の交渉について大いに疑問を持つのである。
檀信徒の90%が署名捺印したものを大多数と認めない宗門の有り方は、民主主義の原理原則に反しているのではないか? これに署名捺印した檀信徒への人権問題は生じないのか?
私も、檀信徒側弁護人も、曹洞宗制の有り方について、国の宗教法人担当部署に公式見解を求めるつもりでいる。檀信徒の「大多数」という定義についても、司法の場で判断を仰ぐ事も視野に入れてもいる。
今や、全国で多くの寺檀問題が発生し、私のところに多くの檀信徒の方々から相談が寄せられているが、どの問題も住職や寺族に非があり、又、その事が原因になっていると思うのである。
全国の檀信徒の切なる要望を、宗門の理不尽な判断で門前払いするようでは檀信徒と共生はできず、「寺離れ現象」が顕著になってくるのではないか?
一生懸命檀信徒の為、寺院の為を思い努力されている良識あるご住職に対し、宗門は結果的に迷惑を掛けているのではないか?
私は、以前にも宗制で檀信徒の地位を明確に規定すべきと述べている。檀信徒あっての寺院であり、曹洞宗ではないのか?
須川法昭氏の判断は、今後大きな社会問題となり論議を巻き起こすと思われる。
そこで私はこの問題に関し、全国の人権問題の論客の皆様やご住職の皆様、この掲示板を読んでいる檀信徒、一般の皆様、そしてマスコミの皆様、是非ともこの掲示板上で、ご意見を述べて頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。
合掌
寺檀問題に関する須川法昭総務部長の判断について
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年10月 5日(月)13時41分9秒
寺檀問題に関する須川法昭総務部長の判断について――その2
(無題)
投稿者:
失望と怒りと寂しさ
投稿日:2009年10月 5日(月)11時59分34秒
「善意なる忠告」を「悪意ある人たちからの攻撃」としか受け取れない人が、
声高らかに「改革」と叫ぶ今の曹洞宗は一体どこへ行こうとしているのか。
ここまでくると、天の声も地の声もどっちもどっちって感じです。
ましてやあの過激なモノ言いに、限られた宗侶しか疑問を呈さないとは。
勇気がないのか無知なのか関心がないのか・・・弊害しか感じないのが
正直な感想です。
「宗侶さん」はその弊害を良心的に忠告していたのではないですかね。
(もしかしたら、私のこの意見も悪意ある人たちからの攻撃なのか?)
ましてやヘコタレルとかヘコタレナイといったレベルの話ではないでしょう。
この回答には正直がっかりですね。善意なる忠告の意味がこれっぽっちも
分かっていない・・・。限界が見えたと確信しました。
(その意味で「千代川さん」の指摘と「宗侶さん」の対応は正しいと思う)
自分の主義主張だけが絶対だと酔いしれている人は、他の善意なる
忠告にも耳を貸さず、もはや何を言っても歪んだ王道を突き進むだけ。
まるで裸の王様ですね。空いた口が塞がりません。
とうとう「千代川さん」も苦言を漏らしたように、「改革」にはいろいろな
手法や考え方があるのです。それこそ度量の広さを示して大人の対応に
徹してもらいたいですね。
また、改革のためには血も辞さないという発想は、一昔前の「粛清」という
言葉を連想させますね。渦中の方の掲示板を覗いてみても、その臭いがプンプン
漂ってきます。そう感じてしまうのは私だけですか???
そういう過激な思想の導入は、それこそ「人権」「平和」「環境」を掲げる
曹洞宗に必要なのでしょうか。その分子として洗脳されないためにも、私は
断固拒否し抵抗したいと思います。
ホント今回の対応で、渦中の人に度量の広さと大人の対応を求めるのが無理
だとはっきり自覚できました。
いくら頑張って中立的に見ようとしても、やはり「宗侶さん」の取る態度や
忠告の方が理性的で仏教らしく見えます。私だけですかね?
これが宗門の限界なのでしょうか。ある意味一抹の寂しささえ感じます。
「千代川さん」や「宗侶さん」の忠告は決して間違っていないと思います。
地の声さんへ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 5日(月)00時46分32秒
迷いに迷いましたが、私からも最後に一言申し上げます。
千代川氏からご指摘がありましたので、もう貴殿に対する書き込みは控えます。
ご安心下さい。
但し、私は貴殿に対して悪意をもって攻撃した訳では決してありません。
誤解のないように、最後に一言だけ付け加えておきます。
この件について最後にひとこと
投稿者:
地の声
投稿日:2009年10月 4日(日)20時33分20秒
今回の「ウガイポスター」については、予算執行権を有する内局のスタンスを批判したもの
です。それを、どういったわけか「地の声」個人批判にすりかえた「悪意」ある人たちから
攻撃されたわけですが、決してヘコタレルものではありません。是は是、非は非。
ガンジーもろくに知らず、軽々に非暴力と言うのはおよしなさい。彼は徹底した差別者だっ
たのですよ。アンベートカルとガンジーの確執くらいお勉強なさい。また、私は一度も自分
の活動をひからかしたこともありません。誤解なさらないように。
この程度の仏教理解を旗印にして、現状を改革するなど到底できるものではありません。ゆ
るやかに改革するという美言は実に容認しやすいものではありますが、歴史上、真の仏教者
たちは、それこそ命掛けで頑張って来たことをお忘れなく。改革に中間的存在などないので
す。それは体制寄りということなのです。「地の声」批判を展開している方々に再度申しあ
げます。中間層と言われるみなさんが立ち上がらないと曹洞宗は改革できないでしょう。そ
れを憂えます。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
(無題)
投稿者:
一言物申したい
投稿日:2009年10月 3日(土)17時29分13秒
結果的に、「宗侶」さんの「地の声」さんに対する意見をここで
聞けなくなったことは残念である。
別に、どちらに肩入れする訳でもないし、千代川さんのやり方に
どうこう言うつもりはないのだが・・・。
ただ、やはり私達のような青年僧にとっては、「地の声」さんの
言動はちょっとついていけない気がする。
そこを勇気をもって正してくれた「宗侶」さんの意見には久々に
素直に頷けた。
なぜこういう率直な意見が今まで出なかったのかが不思議で、ある
意味宗門の健全性を感じた。
まず、例のウガイポスターだって、誰だってあれが仏教だなんて
思ってない。それは「宗侶」さんも明言されているはず。
だからと言って、それを不快感が残るような形でこき下ろす手法が
受け付けないのであって、そのやり方は別にウガイポスターだけに
限らないという批判は多くの方が感じているところだろう。
別に宗務庁という組織が、行政の立場で感染防止を呼び掛けたって
いいのではないか?
そんなに目くじら立てるような問題でもないし、それこそ問題の
根深さを問うような深刻な問題でも全然ない。
その問題と三大スローガンを強引に結び付け、今のあり方を批判
するやり方に「宗侶」さんは疑問を投げかけた訳である。ただそれ
以上もそれ以下の話でもない。
その手法に疑問を投げかけただけで、まるで反改革派のレッテル
を張るようなやり方は常識ある宗侶であれば到底受け付けないだろう。
それに、仏教は実践してナンボとか言うが、みなそれぞれ目立ちは
しないが陰で実践している宗侶は全国にたくさんいる。
また、中には生活のために寺の檀務を疎かにできない宗侶だって
全国にはたくさんいるだろう。
みなそれぞれの立場で頑張ってるわけで、そういう現場の現実を
知らずに、生活を守る宗侶の多さに辟易(或いは悲しみ)するだなんて
口が裂けても言って欲しくない言葉だ。
今の現状に無関心なのと、目立ったパフォーマンスを起こせないこと
を一緒にするのは甚だ心外である。
それと、やはり今回も違和感どころか拒絶感さえ感じたのは、改革
には血を呼ぶという発言である。その飛躍を「宗侶」さんはじめ他の
皆さんは指摘をしたのではないか?
私の理解では、いくら人類の歴史上、血を呼ぶ改革が断行されて
きたとしても、仏教徒である以上、我々は断固血を流す改革に与しない
くらいの誓いがあってもいいと思う。
それこそ歴史が示す通り、「怒り」は「怒り」の連鎖しか生まない。
お互いが冷静に非を正し合い、ガンジーの平和主義のごとく、理性を
もって対処すべきですはないか。
「地の声」さんの過激な主張を聞くと、実は改革が目的ではなく、
まるで血を流すことが目的で、それに酔いしれたくて改革を煽っている
気がしてならない。それを皆さんは辟易しているのではないだろうか。
あくまでも仏教徒であれば、ゆるやかな改革ではなく理性的な改革を
目指すべきだ。それと、自らの主張を第三者的な立場で検証する保守的な
視点は絶対必要である。
社会の歴史に追従するがごとく、単に血を流す改革を目指す姿は世に
迎合している姿に他ならない。私は断固「血を流す改革」というアナクロ
なアジには反対の意を表明する。
最後に、我々は別にあなたから言われなくとも、それぞれテーマを
持って地道に活動している訳で、それをこの場で誇らしげに自慢する
つもりはない。
そういうものは別に競い合うものでもないし、そういう発言を指して
みな独善と言っているのではないか。今まで黙ってきたが、ホント自覚を
して欲しいと思う。
最初はあの方の言うことにも納得いく部分もあったが、最近の言動と
「宗侶」さんらの勇気ある批判を目にして、私もある衝動にかられて
素直な気持ちを書き込んでみた。
私はまだ若く若輩者でしかないが、今の宗門が抱える問題もここを
通じて理解することができた。だからこそ、この掲示板が固有の思想や
批判に支配されることなく、もっと幅広い意見を吸い上げる場であって
欲しいと思う。
千代川氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 2日(金)23時21分42秒
ご指摘の点、了解いたしました。
地の声氏の“固有の思想”に関しては、これ以上何も申し上げることはないので書き込みは控えます。
「地の声」氏批判について
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年10月 2日(金)22時06分29秒
編集済
地の声氏の“固有の思想”に関する話題は、彼の掲示板でやっていただきたいものです。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
その際、地の声氏は、即、削除や参加制限をしたりせず、度量の広さを示していただきたい。
「改革」にはいろんな手法や考え方があるものです。
大人の対応をお願いします。
「宗侶」さんへ
投稿者:
地の声
投稿日:2009年10月 2日(金)20時02分50秒
>それを免罪符として他の宗侶の活動や価値観までも断罪しないでいただきたいということです。
そんなセコイことをしているつもりはありません。少々自虐的ではありませんか?もっと自
信を持って自らの仏教者としての矜持を示してもらいたいですね。自らどのような実践をも
含めて教示いただきたい。仏教は実践してナンボです。体制を護り、生活を守る宗侶の多さ
に辟易(或いは悲しみ)すると同時に、どうしたらこの厚い壁を突破できるのかを私は挑戦
していると自負しています。
「ウガイポスター」は、私が理解する仏教とは相容れないものです。キッパリ断言します。
また、「広報室」は不要です。まるで社会的批判を免れようとする姑息な手法です。公益
法人たるもの、社会の批判を受けることによって改善されるし発展もされるのです。それ
を、「宗門の利益」を優先するような情報提供をすると、しまいには大きな代償を払うこと
になりかねません。メディアを侮ってはなりません。たかが信徒100万人程度の曹洞宗
です。それこそ「上から目線」でもの言うことなどアナクロと指摘したものです。
これからもキツイ批判を宗門に浴びせることになりますが、それはどこへ出しても堂々と
した「曹洞宗」の実現に挺身する「地の声」の活動としてご理解いただきたい。
改革は時には血を呼ぶのです。今がその時だと私は考えています。ゆるやかな改革などと
いうものは体制(保守)のまやかしです。人類の歴史上、一体いつそんなことがありました
か。
くだらない「地の声」批判をする時間的余裕があるのであれば、宗門改革に立ち上がったい
かがでですか?それがあなたに求められているのではありませんか?
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
大閑道人さんへ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 2日(金)15時38分34秒
>地の声師の実名での実践には、目を見張るものはあります。
(たまに、師の活動が中外日報で紹介されることもあります)
それは私も存じ上げております。
だからこそ、氏の物言いは周囲に誤解を与え兼ねないという懸念があるのです。
極論を申せば、地の声氏が目を見張る活動をしていようとなかろうと、逆に私の中ではどうでもよい問題です。
なぜなら、地の声氏と同様、全国には心ある宗侶が目を見張る活動を実践している例がたくさんあるからです。
しかも、彼らは宗侶と名の付く以上、みな曹洞宗という組織に所属しております。
うまく説明できないかもしれませんが、ここでも多くの方が指摘しているように、時に地の声氏の物言いが独善に満ちているように映るということは、ややもすると、その心ある彼らに対しても批判の矛先が向き兼ねないという個人的な懸念です。もしそうだとしたら、それは氏の手法に問題があるのではないでしょうか。
時に氏の主張は、その意図がなくとも、そういった誤解を周囲に与え兼ねないアジテーションに満ちている時が多々あります。だからこそ「常に上から目線」といった批判が出るのではないでしょうか。その手法は、組織にとっても、地の声氏本人にとってもマイナスだと思うのです。
皆がみな、政治的な問題や三大スローガンに無関心なのではなく、個々の問題意識や与えられた立場により活動されている例はたくさん見受けられます。
それぞれの価値観に基づく行動は各々尊重されるべきであり、地の声氏の持つ価値観のみによって一刀両断されて良い理由はどこにも見当たりません。
自分だけが王道を歩んでいるといった誤解を周囲に与え兼ねないためにも、もう少し大人の物言いに終始していただきたいと感じるだけです。
氏の物言いがあまりにも扇動的なだけに、その批判の対象を個別のテーマにきちんと限定しないと、氏の主張は己のみが正しいという独善的な正義にしか映らない時があります。
それは心ある宗侶が批判の対象でなくとも、結果として彼らに残るのは嫌悪感や不快感といった、逆に関係を阻害するだけの要因にしかならないでしょう。
氏の手法は白いキャンパスに好みの色を染める際には有効な手法のですが、己の価値観や問題意識で個々の活動に専念している宗侶から見れば、致命的な距離感と時代錯誤的な印象しか与えない手法なのです。その氏の意図と彼らの乖離を指して、前回「飛躍」と譬えたまでです。
誤解を恐れずに出過ぎたことを言えば、いくら地の声氏の実名での実践が目を見張るものであっても、それを免罪符として他の宗侶の活動や価値観までも断罪しないでいただきたいということです。
やはり違和感を感じてしまう地の声氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年10月 2日(金)11時58分12秒
この書き込みも、不適切であれば監視人さんの一存でご削除下さい。
>救い難い保守性と智慧と行動力の欠落を鑑みるに
ここで言う「救い難い保守性」とは、具体的に何を指して言うのでしょうか。
それを明らかにせずして、「保守性」という言葉を軽々に用いることの意味とリスクを貴殿は理解されているのでしょうか。
これまでの悪しき慣習を変えつつも、良き伝統は残していく姿勢、つまり改革に対する検証作業なくして「改革」は成り立ちません。
それなくして進める作業は「改革」ではなく単なる「破壊」でしかありません。
私個人は「改革」を単なる「破壊」で終わらせないためにも、ある種の保守的視点からなる検証作業は不可欠なものだと思っております。
もちろん貴殿が「破壊」のみを意図して発言するのであれば別ですが、それなら宗門改革(宗門破壊ではない)を意図したこの掲示板上に書き込む資格さえ疑われることとなるでしょう。
また、「智慧と行動力の欠落」とまで言い張るのであれば、貴殿の言う「智慧」とは一体何を意味するものなのか、また「行動力の欠落」とは具体的に何を指して言うものなのかをご提示頂かないと、何を基準に議論を進めて良いのか判然としません。
貴殿に対して、多くの方が抱いている疑念や誤解というのは、全てはその点に帰結するのではないでしょうか。
そろそろ貴殿特有の物言いが発する攻撃性や自己陶酔感からの脱却を果たし、幅広い宗侶層にも理解や参加可能な議論を展開していただければと切に願います。
>願わくは心ある宗侶が立ち上がり、彼を支えんことを。
何人もの心ある宗侶が立ち上がっているからこそ、この掲示板も成り立っているのでありましょう。
それぞれの切り口は違っても、お互い目指すべきところは一緒なのだと思います。
ゆえに誤解を生むような表現や言葉を避けて、相手に距離感を抱かせるような手法は慎んだ方が良いと思います。
願わくは貴殿にも心ある宗侶として立ちあがっていただき、多くの宗侶が参加可能な議論の環境整備を行っていただくことを祈念してやみません。
それだけの熱い思いがある訳ですから、もう少し大人の対応に務めていただければと思います。
どなたも申されていたように、私達同事に精進していきましょう。
これは何を隠そう貴殿に対するエールでもあるのです。
時代錯誤とは
投稿者:
仏陀の弟子
投稿日:2009年10月 2日(金)09時40分49秒
京都に宗教記者クラブが在ります。
9月8日、「広報室開設」の挨拶があり、
人事部長・文書課長・文書課係長・広報担当。
木屋町の料理屋、会費3000円で
「情報の発信」として、12人程の記者と懇親・親睦。
曹洞宗の広報体制について話されたとの事。
会費を惜しんで、只に、飲み食い、酒が飲みたい?
それをアナクロと、言うのでは。
ばかうけ
投稿者:
地の声
投稿日:2009年10月 1日(木)22時02分7秒
本当の話ですか?にわかに信じがたい。これをアナクロと言う。バカ受けしました。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
宗務庁に「広報室」を開設したものの
投稿者:
閉鎖的な広報室
投稿日:2009年10月 1日(木)21時30分55秒
編集済
マスコミ各社にファクシミリを送り、30日、「記者会見」。
各社は、「曹洞宗の問題について緊急会見か」と集まったそうな。朝日、読売、毎日、日経、産経、テレビ1社、中外日報、仏教タイムス、寺門興隆、それに某新興宗教と関係がある宗教新聞。
ところが、ネタは「広報室開設」だけ。
しかも、当日、挨拶予定だった村松人事部長は、「急用(休養?)」で欠席。代わってカチョーが挨拶。
「曹洞宗には1万5000か寺あり……。み仏の教えは……。人権・平和・環境……」
ごていねいに、スライドを上映。
記者たちは、「アホか、全部、ホームページに出とるやないか(なぜか関西弁)」と激怒。
「夫婦別姓で寺門制度に問題は生じないか。民主党政権で、公明党の政教分離はどうなる?」などと聞きたかったのに、曹洞宗広報室のあまりのKYぶりに、記者もあいた口がふさがらず、質問もなし。
「酒席を用意してあります」とは言われたものの、東京グランドホテル6階の「パンセ」に連れて行かれて、「会費は3000円です」。
記者たちのほとんどは、会費制を聞いたとたんに退散したそうな。とりわけ、宗教新聞のボランティアのおっちゃん記者は、「さ、さんぜんえん」と泣いとった……。
誰が言ったか、「自分らは、銀座や六本木で、おれらは会費か?」
曹洞宗広報室の前途は、多難なようで。
(無題)
投稿者:
私もそのように感じていました
投稿日:2009年10月 1日(木)17時40分30秒
「宗侶さん」や「佛陀の弟子さん」の意見に少なからず共感します。
共産主義者が仏教徒を隠れ蓑にすると、このような訴え方しか
できなくなるのですかね。
正直、これ以上仏教の美名のもとに、自らの政治信条をこの場にて
鼓舞することは控えてもらいたいです。
正義の信念のもとに、自らのイデオロギーに酔いしれる姿には
時に興醒めさえします。
まるでエコの名を借りてやりたい放題の環境保護団体、
卒業式を舞台に鬱積した政治信条を罪のない子どもたちの前で
実力行使に出る一部の日教組系教員を想起してなりません。
もうそういう時代でもないと思うし、そういったアナクロ的思考に
踊らされるほど私たちも無知ではありません。
思想闘争的なアドバルーンよりも、もっと私たちのような若い
青年僧侶にも理解可能な前向きな議論を切に望みます。
(無題)
投稿者:
仏陀の弟子
投稿日:2009年 9月30日(水)19時05分4秒
以前に地の声さんへと題して2009.2.21(土)17:10:18
檀信徒衆生は何処に救いを求めているのか?
墓も先祖も無くされ、又は転向させられるのか?
仏陀の弟子である私達は、三宝を護り同業でないのか?
と、問うた事があります。無視でした。今回も同じ事でしょう。
持論の展開にお忙しいのでしょう。
「宗侶さん」の言われる様に、私達同事に精進いたしましょう。
自殺者が三万人を毎年超える。感染病死も同じ命。
しかし各地域取り組まれている僧侶はおられます。
青森・秋田・岩手各地にて自殺を考え、青年会OB諸兄活動されています。
参禅会活動を通して少年非行・家庭内暴力等考え
活動される海外から来られた禅僧もおられます。
ビハ−ラ運動を続けて仏教法話と、話を聞く聞法を活動。
ここに書かずともそれぞれが僧侶として、弟子として、
人間として活動を続けておられます。
共産主義は、日本の解体が目的なのか仏教を迫害、
形だけの僧侶を残して三宝を破壊する事が目的なのか
お寺に人が集まるという事を、させない様に。
人と人、情報を共有することを阻もうとしています。
一ヶ寺が檀信徒を護り、情報収集発信して伝えましょう。
寺院は大切な、教えを守るところです。
私達僧侶が、正しい道を歩まなければ成りません。
改革の旗手を支持!
投稿者:
地の声
投稿日:2009年 9月29日(火)21時31分32秒
宗侶の救い難い保守性と智慧と行動力の欠落を鑑みるに、千代川氏の宗議選挙出馬表明は、
実に危ういものがある。しかし、彼はそれを知った上で決意された。その勇気に満腔の敬意
を表したい。願わくは心ある宗侶が立ち上がり、彼を支えんことを。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
有道会全国大会延期の理由
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年 9月29日(火)14時31分34秒
例年、有道会全国大会は11月に開催されていたが、本年度は来年1月に延期された。
その理由が、渕総長のブラジル出張と重なるからと言われている。又、これを鈴木有道会長や釜田幹事長が了承したというのだ。
有道会の首班である渕英徳氏が、他の部長でも代役の務まる海外出張を優先させる理由は一体何なのか(?)、有道会の若手宗議達の間では、総長は山積する問題から逃避するためではないのか(?)、などとも言われている。
今の宗門は多くの宗侶が改革を求めているが、古参の宗議や守田派は改革などせず、自分達の都合の良い宗門運営を維持したいと考えている。
私は宗門も、何か今日の自民党に酷似していると思えてならないし、曹洞宗にも「チェンジ」が必要だと思う。
総和会も守田派の宮前氏と、改革派の鬼生田氏のガチンコ勝負がどのようになるのか?
興味深いが、この勝負も次期宗会議員選挙まで勝敗がつかず、水面下での画策が続く状況である。両者互角とみているが、これを左右するのは全国の有権者である。
さて、私自身の宗議選挙出馬の件であるが、10月末までには立候補マニフェスト案を発表する予定である。そして、このブログ掲示板にて公表する。
私は、第5選挙区(千葉・茨城)だけでなく、全国の関係者にマニフェストを公開し、皆様からご意見を頂き、それを反映するマニフェストを完成させたい。
私は、これまでの活動で、多くの方々が宗門の現状に不満を抱き、宗門の未来に不安を感じている事を理解している。それらについて、宗侶の方々の為に改革、改善すべく意見を述べたいと思う。
特に若い宗侶の方々が、未来に希望を持てる宗門確立のため「チェンジ」をスローガンとして、宗議選のため頑張って行動するつもりでおります。
つきましては、皆様のご指導、ご協力をお願い申し上げます。
合掌
再度地の声氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年 9月28日(月)23時25分1秒
ここの常連である地の声氏が、自らの掲示板にて私に対する反論文を載せておられます。
http://www2.rocketbbs.com/625/bbs.cgi?id=chinokoe&mode=res&resto=1064
そこには「現在の曹洞宗の実態を露わにしている典型的思考方法」という批判も見受けられますので、私も若干の意見を申し上げ、氏への反論と検証を試みたいと存じます。
なお、敢えて再びこの掲示板上で反論を行う意味というのは、氏のこれまでの主張にも頷ける部分が多々あるという事と、氏の主張が宗門の多くの僧侶らに影響を与えている点を重くみたからであります。
この反論をもって氏への新たなエールと代えさせていただければと思い、失礼を省みず書き込むものです。不適切な内容であれば、監視人さんの一存にてどうぞ削除下さい。
>「宗侶」氏の批判の原点は曹洞宗「三大スローガン」と「ウガイポスター」を結び付けることが飛躍だということだ。はたしてそうか?仏教者たるもの仏教的であるべきで、それには譲れない仏教精神があるはずだ。宗門はそれを三大スローガンという形で示している。つまり、原点に「人権・平和・環境」がなければ、それは曹洞宗的仏教行動とはならないのである。
まず、確かに私は曹洞宗の三大スローガンとウガイポスターを結び付けることが飛躍だと主張しました。また、「仏教者たるもの仏教的であるべきで、それには譲れない仏教精神があるはずだ。宗門はそれを三大スローガンという形で示している」という貴殿の主張に対しても全く異論はございません。
では、一体どの部分を指して「飛躍」と称したのかを説明いたします。要は、私の言う「飛躍」とは一体何を意味するのかという点です。
まず、私が「飛躍」だと申し上げたのは、今回のウガイポスターに込められた宗門の組織的な意図を理解することなく、それを半ば強引に宗門の三大スローガンに結び付けて結論に導く貴殿の手法に対してです。
貴殿に言わせれば、ここで言う「ウガイポスター」自体は直接三大スローガンにリンクする活動でもなく、それこそ貴殿の言葉を借りれば厚労省や保健所の仕事でしかないのでしょう。
しかし前にも述べたように、葬儀やご法事を介して不特定多数の人たちが集う寺院という環境下において、その施設を管理する立場にもある寺院側から、感染防止の告知をすること自体は、何も「お笑い曹洞宗」という挑発的な言葉を用いてまで否定するほどの活動ではないでしょう。
逆に私が問題視したいのは、「三大スローガン」に直接関わりの薄い活動は全て批判の対象となり兼ねない、貴殿が提供したその批判の構図に対してであります。
今回の「ウガイポスター」が直接三大スローガンに関わることなくとも、それのみを根拠に宗門が感染防止の告知活動をしなくても良いという理由にはならないでしょう。その構図(思考回路)を指して「飛躍」と称したのであります。
要は、貴殿が今回の「ウガイポスター」を批判するには、ある種の前提を我々の前に提示しなければなりません。それは、「ウガイポスター」が宗門の三大スローガンに根差した活動であるか否かという論点の提示と、宗門は三大スローガンに直結する教化活動(告知活動も含む)以外一切行ってはならないとする組織的なコンセンサスです。その議論の前提が整わないままに、己のみの価値観を以て他の価値観を断罪する姿勢は、前回も述べたようにあまりにも極端な手法でしかありません。よって、その手法自体が「飛躍」だと称しているのです。
その手法のみで宗門の教化活動を計れば、それこそ貴殿にとっては梅花の活動自体も「お笑い曹洞宗」の対象でしかないのでしょうか。これはあまりにも「飛躍」でしかないだろうということです。貴殿の反論を心待ちにしたい気分です。
まあ、多少言葉が過ぎましたが、もちろん貴殿が本来提起したい主張には一定の理解が示せます。しかし、その主張が全ての教化活動の幅を制限したり、委縮させるものであればそれはファシズム以外の何物でもありません。それは、間違っても「人権」を標榜する組織が取るべき態度ではないでしょう。貴殿の物言いは、全てにおいてそれを想起させる独善に満ちているようにも思えるのです。それを感じてしまうのは、貴殿への他の批判を見る限り決して私だけではないでしょう。
私に言わせれば、「ウガイポスター」が宗門の三大スローガンに直結するか否かという議論と、「ウガイポスター」の是非に関する議論は決して混同してはならないということです。議論の過程で通じる部分があったとしても、やはり同じ俎上で語るには無理がある問題でしょう。よって、今回の「ウガイポスター」が三大スローガンに直結していなくとも、決して宗門が感染防止の告知をしなくても良いという理由にはつながらないのです。
よって、ここで以下の和田献一氏の「実践の観念論」という主張を引用することにも私は論理の飛躍を感じます。
>「それはそれとして」という、私の耳に非常に強烈に残っている言葉ですが、これは曹洞宗の住職さんが言ったわけです。私たちの追求の中で宗祖の教えに立ち返る、「それはそれとして」教団の維持、寺院の運営というのがあるんだと言う。この「それはそれとして」という言葉が非常に印象に残ったわけです。宗祖の教えと教団の維持は両立しないということを言っているのだと思うのです。(和田献一著『実践の観念論を糾す』曹洞宗ブックレット宗教と差別10 p.18)
和田氏がここで言いたいことは、時の宗門が差別問題に取り組むに当たり、ある住職が自らの問題として捉えることへの放棄の言葉として、「それはそれとして」という論理を持ち出したことに対する批判でありましょう。
私のこれまでの主張を見て頂ければ分かると思いますが、私は宗門の三大スローガン自体を決して軽視している訳ではありません。私に言わせれば、宗門の三大スローガンも今回の感染防止の告知活動も、どちらも大事なのです。
具体的に申し上げれば、敢えて両者に優劣をつける視点自体に疑問を投げ掛けたいのです。この二つを無理に結び付ける視点自体が、私にとっては「飛躍」でしかありません。ましてや三大スローガンを金科玉条として、感染防止の告知活動をも不毛に帰す発想自体も滑稽に映ります。
よって、貴殿の「仏教教団たるもの、常にその活動が仏教的であるかどうかを厳しく見つめていなければならない。まして、三大スローガンを掲げる曹洞宗はその実践から活動が導き出されなければならないのは当然のことなのだ」という主張には賛同できても、これまでの議論が和田氏の主張する「それはそれとして」という構図に当てはめられること自体に違和感を感じるのです。
私は何度も申し上げますが、今回の「ウガイポスターの擁護」を以て宗門の三大スローガンを軽視する姿勢は一切持ち合わせておりません。逆に三大スローガンを錦の御旗にして感染防止の告知を軽視する姿勢には論理の飛躍しか感じません。そのことを主張しているのです。
また、これまで述べてきた理由と全く同じ理由で、貴殿が提示する以下の第二の論点に関しても論理の飛躍を禁じ得ません。
>第二点は、勿論出費の問題である。貴重な宗費は仏教の実践にこそ費やされなければならないのである。「ウガイポスター」の如き仏教教団にとっては不必要なものを製作する神経を疑うとともに、一銭でも貴重な浄財であるという認識の欠如をもまた憂うのである。浄財を「生かす」ことが、会計執行権を付与された内局が常に自省しなければならない最重要項目である。思うに、このような認識の欠落が無意味なポスターやらの乱発につながってきたし、それを非仏教的であると批判する能力すらが、宗門から失せつつあることを思う時、この問題の根深さを感じざるを得ない。
貴殿の論理で言うと、やはり三大スローガンに直結する活動以外は「仏教教団にとっては不必要なもの」という定義らしいですね。それこそ貴殿の言葉を借りれば「一見、妥当な、抑制の利いた大人びた意見」でしかないのではないでしょうか。確かに「一銭でも貴重な浄財であるという認識の欠如をもまた憂うのである。浄財を生かすことが、会計執行権を付与された内局が常に自省しなければならない最重要項目である。」という部分は正論であり、疑う余地はございません。
しかし問われるべきは、それが「排除の論理」を前提に語られる点にあります。私は既述もしてきたような理由で、目に見えない新型インフルエンザの流行に伴い、葬儀や法事などを介して不特定多数の人たちが集う寺院という環境下において、宗費という経費を用いて感染防止に努めることは、決して頭ごなしに否定されるべき活動ではないと思います。その告知の仕方自体に検証の余地はあるとしても、その発想自体は許容範囲を超えるものでは決してありません。
しかし、その議論と貴殿が重視する「もっと他にやるべきことがあるだろう」という議論を混同させることのリスクは既述もした通りであります。この二つを安易に結び付けて論じること自体は、やはり私に言わせれば意図的な飛躍でしかないのです。ましてや、論理の摩り替えに近い意図的なものを感じます。そのご主張であれば、別に「ウガイポスター」を槍玉にあげる必要はなく、もっと正々堂々と三大スローガンに直結する貴殿の具体的な持論を述べて理解を求めるべきです。そこに敢えて「ウガイポスター」を持ち出す理由はないものと思います。その手法自体が、私は個人的に姑息な手段に映ったのです。
ましてや「それを非仏教的であると批判する能力すらが、宗門から失せつつあることを思う時、この問題の根深さを感じざるを得ない」と言うほど大袈裟なものでは決してありません。誤解を恐れずに申し上げれば、この「ウガイポスター」に込められた意図を、敢えて仏教的であるか否かという俎上に載せること自体に無理があるのです。その論理の構図の設定自体が飛躍と称しているのであり、問題はさほど根深いものでは決してありません。敢えて根深くしているのは、貴殿の手法でしかないのです。
曹洞宗の信者数 1〜3
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年 9月28日(月)16時38分6秒
編集済
曹洞宗の信者数 1〜3
久々の投稿です。
私は、「週刊ダイヤモンド」9月12日号(発売中)の「新宗教」という特集記事を読んで驚いた。
この記事は、先の総選挙で新宗教団体がどの政党を支援したかを示し、又、新宗教や伝統的仏教教団の信者数を調査して記事としたものである。
とくに驚いたのは記事冒頭にある全宗教法人信者数ランキングである。
私は、今まで我が宗門の信者数を800万人とも900万人とも聞いていた。それが、この特集では1,553,418人(約155万人)とされている。
週刊ダイヤモンドの担当記者に、この数字の根拠をたずねると、同誌の記者は、
「宗務庁に取材して得た数字」
という返事だった。
我々が知っていた数字は一体どこから出た数字なのか?
私は、去る9月7日と8日、三重県第二宗務所の現職研修会に再度講師として招かれ、「現状の宗門における問題について」、話をさせてもらった。
そこでこの記事の話をすると、参加者も大変驚かれた様子であった。
10年に一度宗勢調査なるものを本庁は実施しているが、その結果について我々一般寺院にどのように報告されるのか?
大きな疑問である。
次に、私は今後の宗政について意見を述べる。
多々良学園裁判は、11月から口頭弁論が山口地裁で開始されるが、宗門側証人はいかに対応するのか。又、誰が証人として出廷するか。ともに興味深い。
誰が考えても、宗門の顧問弁護士の主張する「多々良学園と宗門は別法人」という論理で勝訴できるとは思えない状況下にあるだろう。宗門が敗訴した場合、36億円の損害賠償の責任が生じる。
一方、駒澤大学問題で累積赤字が311億円、借金198億円と、今年3月末の大学の決算書にはこのように報告されている。
佐々木・新理事長(教学部長)のもとで、果たしてこの数字が改善されているだろうか?
又、この数字を改善する具体策が策定されているのか?
宗門はこの問題にどのように対処するのであろうか?
渕英徳宗務総長の指導力が発揮されるのであろうか?
多くの不安と疑問を感じるのは私だけではあるまい。
駒澤大学問題も今の状態で宗門が放置してしまうと、第二の多々良問題、いや、それ以上の損失が生じる可能性がある。
「坊主と学者の経営」に私は大きく警鐘を鳴らすものである。
これ以外にも多くの宗政問題が生じている。
全国有道会では、大会が11月18日、19日から来年1月13日、14日に変更された。一体その理由は? 又、総和会内部の権力抗争、次期宗議選への動向等々である。
以上については次回で述べたいと思う。
合掌
曹洞宗の信者数 4〜6
投稿者:
千代川宗圓
投稿日:2009年 9月28日(月)16時36分45秒
曹洞宗の信者数 4〜6
↓
投稿者:
宗侶A
投稿日:2009年 9月28日(月)10時17分39秒
編集済
本当ですか?
火のないところに煙は立たないといいますが・・・
Y部長、次の選挙には出て欲しくないですね。
隣の芝生は青く見えるのか?
投稿者:
傍観者
投稿日:2009年 9月27日(日)14時28分56秒
Y部長が荼毘塔の問題に絡んで、住職不在のS寺乗っ取りを企てていたというのは、周知の事実の様ですが、それを画策したのは、他ならぬ御内儀だという噂が、真しやかに流れています。
不動産取得の件といい、乗っ取りの件といい、画策する当人にも問題ありですが、それを後押しする、S部長はじめとする内局の方々は、恥を知らないのでしょうか?
曹洞宗維新というか、政権交代でもして、腐った林檎には居なくなって頂いた方が良いのではないかと思いますが。
いいでしょう
投稿者:
無官
投稿日:2009年 9月26日(土)13時47分3秒
編集済
インフルエンザーの流行が今後どのようになってくるかは分かりませんが、宗門も感染拡大を未然に防ぐように啓発するのは別に問題じゃないと思います。
洗面の巻もあることだし。
生命
投稿者:
風林火山八王子
投稿日:2009年 9月25日(金)17時34分44秒
編集済
ポスターに関する費用の支出に関する意見も色々あろうかと思いますが、
今回の投稿は曹洞宗の立場から考えて、どの様に制限ある原資を使ったほうが、より良く世の中の役に立つべきかと言う考え方を提示した投稿であったと思います。
インフルエンザを例に上げれば、曹洞宗が作ったポスターは時流に乗っているとはいえ、厚生省や行政でも出来ることだと思います。
しかし、自殺者やほんとうに精神的苦しんでいる方たちを救うのは、曹洞宗のみならず宗教者が進んで手を差し伸べて行動することこそ、
本当に役に立つと言えるのではないでしょうか?
ある場面で「人を救うと言うのは、生命だけ救うのではなく、その精神を救うことが出来なければ、中途半端であり、残忍な結果をもたらすことがある。」
と言ったところに、感銘を受けました。
本当に、曹洞宗の世界に身をおき、心身ともに本当に修行した方なればこそ、
手を差し伸べることが出来るのではないかと思います。
また、その様な心さまよう民衆は、曹洞宗のどの様な窓口に助けを求めればよいのでしょうか?
言うことは簡単でも実行することは苦難のほうが多いと思いますが、ぜひ現実世界に目を向け、
その中で、曹洞宗の教えを地道に具現化していただきたいと考えますがいかがでしょうか?
(無題)
投稿者:
カタコリ
投稿日:2009年 9月25日(金)10時18分1秒
警視庁の発表によれば、日本の自殺者は平成10年に32,863人を数えてから、3万人を下回ったことがない状態である。
無職者や被雇用者の増加と、学生・生徒の横ばいなどを統計から読み取ることができる。ただし、少子高齢化の現状を鑑みると、若年層の数字は横ばいではなく、実質的に増加していると見るべきであり、日本における自殺問題は深刻な状態である。
ところで、頭の体操としてこの数字をインフルエンザに当てはめてみたい。
インフルエンザで3万人以上の死者が出たとしたら、日本中パニックになるだろう。お互いが疑心暗鬼になって、少しでも咳払いをしようものなら、感染源扱いをし、その場から排除しようとするだろう。
では、インフルエンザと自殺問題、この違いには何があるのだろうか。
それは、自らの問題として捉えるか、捉えられないのかにある。
インフルエンザの感染力は高く、自分もかかるかもしれないし、他人に感染させるかもしれない。
しかし、自らも自殺するかもしれない身であると理解することは難しい。
「自分は、そんなことはしない」「そんなことには陥らない」と思っている。
だからこそ、自殺の問題を他人事として捉えがちである。
総持寺の雲水の間で、インフルエンザが流行したのは周知のこと。これを契機に今回のキャンペーンに繋がったと理解すれば評価もできる。
しかし、年間3万以上の自殺者に沈黙を続ける一方で、うがい励行のキャンペーンを行う、この体質が曹洞宗に対して問われているのだと感じた。
参考:
http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
(無題)
投稿者:
通りすがりの者ですが一言言わせ
投稿日:2009年 9月25日(金)00時27分40秒
新型インフルエンザで、日本でも既に人死にが十数人出ているというのに、それを予防しようという呼びかけのポスターに対して、地の声さんの「こんなことに貴重な宗費を浪費することは止めてもらいたい。」や「無意味な印刷物は環境破壊にもリンクします。」との発言、仏教では、人命よりもお金や環境保護の方が優先されるのでしょうか。この地の声さんの意見に対して、反論しているのが宗侶さん一人というのも、ちょっと信じられません。大半がそのような意見では、かの過激派環境保護団体と同レベルではないですか。
最後に地の声氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年 9月24日(木)02時30分38秒
知人に貴殿の掲示板の存在を聞かされ拝見をいたしました。
結局貴殿は私の書き込みを、単なる「ウガイポスターの擁護」ぐらいの認識でしか受け止めていないようですね。
それでは、もうこれ以上の議論は不要です。終わりにしましょう。
貴殿はよほど硬直化した時代の価値観の中で生きてこられたのでありましょう。
ある意味、同情を禁じ得ません。
何度も言いますが、私の主題はウガイポスターの是非ではありません。
人権問題を「思想闘争」を想起させるような切り口でしか語れない貴殿の手法に関してです。
宗門にはこれから人権問題のイロハを学ぼうという若手の宗侶もいるはずです。
貴殿の主張は時に極端で扇動的であり、それでは「洗脳」に値する学習はできても、逆に思索の過程を軽視する弊害をも生み出し兼ねません。
それを一度立ち止まって考えるべきだと思うのです。
それこそ「人権・平和・環境」という問題は、複雑な個々の権利が交錯して多角的な分析が必要なテーマかと思われます。
それを、一方の価値観のみから断罪に近い形で他方の価値観を排除する手法が強引だと言っているのです。
別に貴殿のスタンスを頭ごなしに否定しているのではありません。但し、貴殿の主張や手法のみが絶対ではないということです。
間違いなく貴殿の物言いは、時に他の方も苦言を呈しておられるように、自らの主張のみが絶対であるという独善的な正義に満ち溢れています。
それは貴殿にとってもマイナスだと思うのです。
異なる価値観を対立の構図でしか捉えられない思考回路は、ある種の「思考の停止」を誘発し兼ねません。
果たして、それが仏教徒が取るべき態度でしょうか? 尊重すべき価値でしょうか?
今回の「ウガイポスター」の件も、もちろん事業の是非や宗費の適正なる使途についての検証は必要でしょう。宗費納入者の立場から批判があっても然るべきです。
しかし、そこからいきなり三大スローガンにまで議論を飛躍させてしまっても・・・あまりにも無理があると思うのです。
その手法は、逆に宗門の教化事業の幅を萎縮させてしまう弊害を生み出し兼ねません。
私が問題視する点はそこであり、「ウガイポスター」の是非はあくまでも枝葉末節でしかありません。
他者の評価から自己の言動を省察できない姿勢は、仏教徒の最も忌み嫌う「不戯論」に陥る結果を招くのではないでしょうか。真の意味での脚下の照顧を促します。
それと、私は仏教を知らない輩みたいなのでもう少し勉強が必要みたいです。
そこで、貴殿の物言いから仏教の何を学べば良いのでしょうか。
まさか十重禁戒の七番目を身を以てご教示いただいたのではないですよね。
それであればある意味納得がいくのですが、仮にも人権を標榜する身なれば、他の方も指摘をしているように、常に上から目線での物言いは控えた方がよろしいのではないでしょうか。
貴殿は掲示板にて「無意味な論争」と切り捨ててこの場での論争を避けておられますが、私個人としては貴殿に対する歪んだ評価を是正したいがために、あえてこの場に書き込みをさせていただきました。
もうこれ以上この件に関する書き込みは控えますが、今後貴殿の持つ気概と正義感と多岐にわたる情報が、宗門のために前向きに活用されることを期待してやみません。
同感です
投稿者:
偽善者
投稿日:2009年 9月21日(月)23時45分16秒
編集済
「支出」
第一信、第二信印刷費、郵送費、封筒代等(全国1万2千ヶ寺分) 2,146,880
※高倉氏から、全か寺に、何か郵便物が送られてきました?
幹事会交通費、懇親会(於円通寺)19名分 600,000
※幹事とは誰? 「60万円」きっかりの「交通費+懇親会費」はあり得ない。
旧多々良学園問題全国調査費用14名分(H.18.3.6〜9.26まで) 650,000
※「調査」とは何なのか? 「14名」とは誰なのか?
連絡者協議会会場費、懇親会費(ホテルラフォーレ新大阪) 360,000
※日付は? こんなもの必要ありません。
日付を教えてもらえば、ホテルに金額を確認します。
ホテルラフォーレ新大阪 06(6350)4444
通信費、資料作成費 30,000
支出合計 3,786,880
※領収書はありますか?
※公認会計士はついていますか?
※それらがなければ、会計審査にはまったく通りません。
「差引合計」 513,944
※なんらかの方法で、寄付者に返却すべきでしょう。
H21年中に説明責任があると思われます。
説明できなければ全額千代川氏に返還するべきではないでしょうか?
返還しなければ単なる泥棒ということで千代川氏が告発するかもしれませんよ。
民事、刑事裁判には千代川氏は長けていると思いますので。
この掲示板を拝見する限り千代川氏は実行力があると思います。
現在の曹洞宗の先駆者なので。
再び地の声氏へ
投稿者:
宗侶
投稿日:2009年 9月21日(月)22時34分18秒
地の声氏は「反論」と仰っておられますが、私は私なりの個人的意見を申し上げます。
>「飛躍」ではありません。基本に「人権・平和・環境」を置いているのですから、そこから宗門の全ての活動が導きだされるべきです。
その主張自体に異を唱える宗侶の方はいないと思うのですが、これまでの地の声氏の個別の主張を拝見する限り、あまりにも限定されたテーマに活動の幅が集約されるゆえ多少の違和感を感じるだけです。
例えば、今回のポスターの件に関しても、基本に「人権・平和・環境」を据える組織であるからという理由だけで、「お笑い曹洞宗」というような挑発的な言葉を用いてまで否定をするような内容でしょうか。
では逆にお伺いしたいのですが、「人権・平和・環境」というスローガンを掲げる組織であれば、不特定多数の人が集まる寺院や研修会という環境下において、感染予防の告知や啓発を行う必要はないのでしょうか。そこまで活動の幅を限定させてしまっては教化事業の幅が委縮してしまうでしょう。
もちろん優先順位やその告知や啓発の仕方に関しての議論は必要ですが、今回の氏からいただいたご指摘をそのように前向き且つ好意的に受け取る宗侶の方は皆無でありましょう。それこそ氏が重視する宗侶や仏教徒の立場であれば、もう少し違うアプローチの仕方があっても良いのではないでしょうか。思想闘争の場でもない訳ですから・・・。
要は、次元の違うテーマや事業と絡めて、強引に現体制の非を突くスタンスにある種の違和感を感じるということです。その手法を指して「飛躍」と称したまでです。現体制に対して批判があるなら、もっと正々堂々と正面切って批判を展開すべきです。
引用された小林哲郎氏の言葉に関しても、ある特定の条件下においては素直に頷ける言葉ですが、今回の件を引き合いに引用する言葉でもないと思います。このような温度差を感じるのは私だけでしょうか。
氏からこの掲示板上でご提供いただくスローガンや基本理念に関しては頷ける部分が多々ある訳ですが、いきなり極端なテーマや個別の話題に話が及ぶ時、ある種の戸惑いを禁じ得ません。「いっそのこと三大スローガンなど捨てた方がスッキリします」とか、「血肉と命を賭けなければ人権実現などできるものではありません」と言われても・・・氏のスタンスが柔軟かつ広汎的な教化活動を制限させてしまうことを懸念して止みません。ただそれだけですね。
貴重な指摘
投稿者:
地の声
投稿日:2009年 9月21日(月)20時13分8秒
編集済
要するに出鱈目に使ったということでしょう。
この貴重な指摘をダウンさせるのは全く忍びないのですが、「宗侶」氏に反論しなければ
ならないものですからご容赦ください。
「飛躍」ではありません。基本に「人権・平和・環境」を置いているのですから、そこか
ら宗門の全ての活動が導きだされるべきです。このポスターについて宗務庁が用いた「実
践」という重い言葉に非常に違和感を感じました。余裕などないはずです。あれも、これ
も、というスタンスを曹洞宗が取り続けるのであればいっそのこと三大スローガンなど捨
てた方がスッキリします。血肉と命を賭けなければ「人権」実現などできるものではあり
ません。宗門のスローガンが飾りでないことを願っています。
「人権問題に中立はない。現に差別がある社会では、差別をなくする努力をするか、逃避
して差別を再生産するか‥そのどちらしかない。」(小林哲郎)
この緊迫感を理解できなければ、坊さんはやっぱり物知らずという批判を免れますまい。
http://www2.rocketbbs.com/625/chinokoe.html
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投稿者:
中外読者
投稿日:2009年 9月21日(月)20時07分4秒
地の声氏、ご指摘のもの
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