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地の声氏へ

 投稿者:智の声  投稿日:2009年11月 5日(木)23時32分26秒
  通報 編集済
   貴殿がこの掲示板に転載した「暴力問題の捉え方」なる見解、今回に関しては珍しく
異論はない。基本的には。
 ちなみに、その転載部分の引用は長すぎるので、詳細は以下からご確認いただきたい。

http://www2.rocketbbs.com/625/bbs.cgi?id=chinokoe&mode=res&resto=1122

 では、なぜ今回私がまた投稿する気になったのか。それについて触れたいと思う。
あくまでも貴殿に対するエールだと自負して。
 まず、私が個人的に気になったのは、上から閲覧可能な掲示板にも見て取れる、一
宗門寺院僧侶氏からの投稿である。これも引用が長くなるので上から閲覧願いたい。
 用いる言葉は違えども、基本的な主張は多くの宗侶諸兄が共感できるものではないか。
誤解しないで欲しい。今回はあくまでも貴殿に対するエールとして一宗門寺院僧侶氏の
意見に共感するのである。やみくもに貴殿を批判するだけが私の役割ではない。
 しかし、その共感も次に続く貴殿からのあまりにも空気を読めないレスを見て溜息に
変わる。今後の貴殿のさらなる成長を願って、あくまでも冷静に検証してみる。

>私に関して、このような批判が多いようですので、あえて削除せずにレスすることにします。

 まず、この一宗門寺院僧侶氏からの忠告を、削除の対象にするとは何事か!これほどまで
貴殿を案じた指摘はなかろう。それが、今回私の言う「空気を読めないレス」という言葉
の意味である。
 どこに削除の対象になるような内容があるのか?私には貴殿に対して改心を促す善意ある
忠告にしか映らない。
 私たちが貴殿に向ける批判のひとつに、貴殿特有の明らかな論理の整合性の欠如と矛盾と
がある。分かり易く言えば、「口にする正論と、導き出す結論が支離滅裂」ということだ。
 それについては具体的に以下に記す。

>第一点 言い方ではなく内容を議論してもらいたいこと。
>第二点 言葉がキツくなるのは、理屈で言っても理解されない場合。
>第三点 だれしも優しい言葉は嬉しいものですが、それをいつも期待するというのは、
 あまりに身勝手。

 これらの主張も、貴殿の言葉を借りれば「一見、妥当な、抑制の利いた大人びた意見」
に映らないこともない。
 しかし、常に自らを「仏教者」と自称し、自らの言動と仏教の教えとの整合性を自負
する貴殿にとって、上に引用した主張は明らかに仏教の「愛語」の実践と乖離するもの
ではなかろうか。
 最初から「言い方ではなく・・・」とか「言葉がキツくなるのは・・・」という逃げ道
を用意しないで欲しい。また、仏教者を自称する貴殿に愛語の実践を期待するのは「身勝
手」なものなのか?

>第四点 不特定多数の、それも相手に合わせて語ること自体不可能であること。

 それこそ、一宗門寺院僧侶氏の言う「梵天勧請」の意味をよく考えてもらいたい。

>第五点 はっきり言えば、相手にあわせてレベルを下げる気は毛頭ないこと。

 多くは語りたくないが、せめて仏教者として対機説法に徹すれば良いではないか。

>第六点 これは期待を込めて言うのですが、言葉を発しない閲覧者は大勢いて、わたし
 の提起する問題をよく考えてくれていること。

 期待を込める以前に、多くの宗侶諸兄が指摘をしてきたように反面教師として閲覧して
いる者が多いこともお忘れなく。

>第七点 そもそも地の声とは、長いあいだ沈黙させられ冷や飯を食わされてきた底辺の
 宗侶の代弁者です。この怨みは相当深いのです。

 以前、どなたかも指摘をしていたが、ここが貴殿の脇の甘いところ。
 「怨み」という感情と連関する三毒(貪瞋癡)を戒めるのが仏教者の範たる姿なのでは
なかろうか。貴殿の言う「怨」と改革の源流ともなる「正義」は、冷静に一線が画される
べきである。それが私の言う「口にする正論と、導き出す結論が支離滅裂」たる言葉の意
味でもある。
 貴殿が得意とする戦争問題を介した平和や人権問題なども、畢竟行き着くところはこの
「怨み」という感情の負の連鎖なのではなかろうか。
 「底辺の宗侶の代弁者」という主張には感情的に同情できても、その「怨み」が相当
深ければ何を言っても許されるのか? 愛語と乖離した言動も許容されなければならない
のか?
 貴殿は、2009年11月 5日(木)21時44分10秒に書き込んだ田舎の若輩僧氏に対する
返事の中で、非常に人間味溢れる体温を感じ取れるような書き込みをしておられるが、
やはり貴殿の口から「智慧と慈悲を実践すること」とか「智慧と慈悲を思想から体質化
する日常底」という言葉を聞いても、やはり素直に頷くことができない自分がいる。
 上に挙げた第一点から第七点までの自らの言動と、自らが田舎の若輩僧氏に述べた
エールの数々、とりわけ「慈悲は仏教の命」という言葉の意味を冷静に見比べて欲しい。
「相手にあわせてレベルを下げる気は毛頭ない」と切り捨てることが仏教の命たる慈悲
なのか、長いあいだ沈黙させられ冷や飯を食わされてきた底辺の宗侶の代弁者と自称する
者が「この怨みは相当深い」と感情を露わにすることが慈悲に根差した仏教者の態度なの
か?よくよく自問自答してもらいたい。
 貴殿の口から発せられた言葉は、今まで私たちが機会あるごとに貴殿に対して述べてき
た「善意ある忠告」そのものである。まずは自らが仏教者として範となり実践すべき内容
の言葉なのである。
 恐らく貴殿の言葉自体に嘘偽りはないのであろう。がしかし、だからこそ罪なのだと
私は思う。貴殿特有の自己矛盾・論理破綻の象徴的な事例としか思えないからだ。
 私は、田舎の若輩僧氏へ述べた貴殿の言葉を信じたい。その言葉と言動が一致する日が
くることを心待ちにしたい。本当は「暴力から学ぶなど、悲しいことを言わないでくださ
い。ともに頑張りましょう。」という思いを実は共感したいのである。目覚めよ!地の声
よ!
 
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