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愚見

 投稿者:匿名一地方副住職  投稿日:2009年11月 2日(月)18時47分45秒
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   連日の投稿失礼いたします。
千代川老師の御垂誡の通り、感情的にならないように今後気をつけたいと思います。

 また、千代川師の書かれている安居の問題について、恐れながら少々愚見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、師がおっしゃる冒頭の一文中の、「酒、女」についてですが、これは千代川師も書かれているとおり、完全に僧堂側は認めていない行為であり、特に、道場を抜け出して街に行って酒を飲んだりそうした店に行く者などというのは、私の知る範囲ではごく一部の極めて特殊な修行僧に限った行為だと思います。
 確かに、数年に一度そうした行為が発覚することがあると思いますが、当然厳罰に処されていますし、場合によっては下山処分になる場合もあります。
 そうした行為をする者は、ごくごく一部なのだ、ということを忘れて欲しくないし、私の意見では、それらまで僧堂の責任にされてしまうのはどうなのだろうか、ということなのです。なんだか、一生懸命過ごした道場を、そんな軽い言葉で汚してほしくありません。

 重ねて申し上げたいのは、そうした行為をあたかも週刊誌の見出しのようにバーンと衝撃的に掲示板に書くことによって、ほぼ99パーセントのまじめな雲水まで、そうした行為をしているかのごとくに誤解されるのが耐えられないのです。
 道場を抜け出して街に行くなど、私が安居した道場(本山)に関する限り、同年代にはたぶんいなかったと思います。(私が知らないだけかもしれませんが、おそらくあの睡眠時間で外に行って飲むことなど、時間的に無理だと思います。)

 また、千代川師が指摘されているように、古参から上下関係の立場を利用して陰湿ないじめや時には暴力的指導が行われることは、悲しいことですが実際には根絶されていないのが現実だと思います。

 ただ、私が思うには、これは個人の問題も当然あるし、僧堂の責任問題もあるのですが、もっとそれ以前に、修行道場のシステム自体に問題があると思うのです。

 話をわかりやすくするために極論を申しますが、仮に道元禅師の時代のように、純粋な修行だけをおこなうことができる道場なら、上下関係も暴力もきっと起こらないと私は思うのです。しかし、今の時代は道元禅師の時代とは違う要素が多すぎるのが一因だと感じます。

 一つ例を出せば、私は修行中つくづく感じたのですが、道元禅師の時代には、参拝者が本山に団体でお参りに来たり、供養の法事を申し込んだり、ということはおそらく無かったと思うのです。
 もちろん、それはそれで意味があることだし、その対応をするのも作務の意味でありがたい修行なのはわかります。
 しかし、私の経験上、暴力問題やいじめの問題は、忙しい寮舎で起こりやすいということなのです。たとえば、今日は300人の団体参拝者が宿泊するぞ、となれば当然、それを泊める担当部署は部屋の準備からお茶の用意まででてんてこ舞いになるし、料理を作る部署や受付なども忙しくなります。

 さまざまな資質や性格の者が道場に集まる以上、能力に差が出るのはしかたありませんが、そうした限界を超えた忙しさが続くと、どうしても、皆の足を引っ張る者やミスをする者、あるいはさぼろうとする者が出てきます。

 もし仮に、皆が坐禅と読経だけをして修行できるような道元禅師の時代のような道場だったら、たとえば坐禅中に腰が痛くなって休む者がいたり、お経を覚えるのが遅い者がいても、それは他の人にあまり関係がないので、無理をさせる必要もなく、「ああ腰が痛いなら休みなよ、お大事に」とか「お経なんてゆっくり覚えればいいよ、人それぞれだしね」という優しい心でいられるでしょう。

 しかし限られた人数で、さきほどの例のように忙しい宿泊者対応を行う場合、そんなことは言っておれません。
 誰かさぼっていたら「まあ、あいつがさぼっているのは俺には関係ない、俺は一生懸命修行するからいいんだ」なんて言っていられないのです。
 時間通りに食事が間に合わなければ困るので、当然先輩からは「おい!何さぼってるんだ!」と叱られることになります。
 あまりにふざけた者は、罰を受けたり説教をくらったりするわけです
 もし仮に、先輩からの注意がなければ、今度は同安居同士で注意しあうしかなく、これも暴力事件の原因になります。

 さらに難しいのが、単に能力の差であれば、「まあ、あいつも頑張っているんだからのろいのはしかたがない、その分俺たちがフォローするか」と言う気にもなるでしょうが、たとえば「俺は資格を取るために上山したんだから、こんなことやってられない、適当に手抜きするからよろしく」みたいなやる気の無い者や、何度教えても覚えることができない者もいるのです。
 当然仲間同士でも、先輩後輩の間でも問題になり、トラブルの原因になります。
 役寮が指導すれば良いのですが、忙しい日が続けばいちいち細かいところまでは目が届かない場合も多いのです。

 仮に宿泊対応の公務がなければ、そうしたやる気の無い人がいても、自分の修行とは関係なく済ませられるでしょう。(そうした者を改心に導くのも慈悲心だとは思うのですが)

実際に修行の現場では、いきなり上山して右も左もよくわからない人でも、道場の一員として、道場を運営するための業務にいきなり就かされるところに問題があるのではないでしょうか。
「道元禅師の教えでは・・・」という言葉を良く聞くのですが、道元禅師の時代にはなかった要素が修行道場に多すぎるのです。

 もちろん、そうした作務も大切な修行なのはわかります。しかし、それが原因で暴力や仲間同士のいじめなどが起きるのであれば、いっそのことそうした寮舎は撤廃し、純粋に僧堂修行だけを行えるような本山に改革するのも一つの案だと思うのです。

 他宗派の本山のように、受付や宿泊対応、調理などは外部のプロ(従業員)に完全に任せるのも一つの案だと思います。

あるいは、上山して2年くらいまでは衆寮と接賓、知殿寮と堂行寮だけにして道元禅師の時代と同じような修行ができるようにして、更にそれ以上の寮舎のノウハウを学びたい者だけが、本人の希望制で典座寮や受所、茶頭などに転役できるようにすればよいと思うのです。ある程度僧堂に慣れた古参ばかりで、しかも希望制であれば、忙しい寮舎でもトラブルは起きにくいと思います。

 あくまでも未熟者の一意見です。おみぐるしいようなら削除してください。
 
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