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地の声師、あなたは私の投稿をきちんと読んだのですか?何ですか、「笑止」とは?こちらこそ「笑止」と申し上げたい。
私がしつこいほどに「暴力による指導は否定」と書いているのに、どこをどう読んだら
>>それで暴力を肯定するのですね。非暴力はどこへ行ったんでしょう。仏教ではありません。
などと書けるのか、あきれはてて言葉もありません。
誰がいつ、暴力を肯定しましたか???しつこいほど否定しているでしょうに。
暴力が蔓延した時代を反省し、今は新しい指導を模索しつつ役寮諸師が努力しているのが現状です。その中で、いまだ答えの出ない、やる気のない雲水にどう対応していくのか、手探りの状態だ、ということを言おうとしている一文を、「暴力肯定」と無理矢理曲解するのはなぜなのでしょうか?
また、役寮の選出方法についても、タテマエだとか書かれていますが、違いますか?じゃあどういう基準で選ばれているのですか?今どきの僧堂で、たいした衣資もいただかずに一生懸命自坊と道場を往復する真摯な役寮さんをたくさん知っています。まさか貴師は、いまの時代に、役寮がなにかうまみのある地位だとでも思っているのでしょうか?どの僧堂でも、役寮のなり手がいなくて困っているのですよ??
ほとほと呆れましたが、あえて申しますがあなたの性格は少々ねじまがっているのではないでしょうか?
重ねて言いますが、僧堂では現在暴力は厳禁です。隠しているわけでも公然の秘密でもなんでもなく、厳禁なのです。ただ、実際に禁じているにもかかわらず暴力をふるってしまう者がいるのも事実かもしれません。しかしそれは道場が暴力を容認しているわけではなく、禁じているのに起きてしまっているのだ、ということです。
それを根絶するために、教育システム改革も含めて現場では必死で努力している、ということを言っているのです。それを全く否定する地の声師の書き込みに、一言反論したまでです。
また、暴力を肯定はしませんが、一口に暴力といっても、たとえば全く理不尽な役寮や古参からの意味不明な暴力指導があったとしたらそれは大問題です。しかし、たとえばかりに、こういう例はどうでしょうか?
小・中・高と、自由主義の教育方針で育った若者が厳しい修行道場に上山し、慣れない生活をはじめるだけでものすごいストレスです。朝3時に起床し、休み時間もほとんどなく修行にあけくれ、携帯もネットもなく、食事も質素、自由時間はない。僧としては当然なのですが、その環境が苦痛に感じる者も多いことでしょう。
そうしたストレスを抱える者同士が、ちょっとした何かの行き違いで口論となり、仲間同士で手が出てしまったとします。(あくまで、仮にです。そして、暴力は肯定しません)
もちろんその過ちは十分反省すべきですが、このケースを、封建主義から出る暴力指導と同列に論じるのは愚かではないでしょうか?
私は僧堂に籍を置いているわけではありません。しかし現在役寮をつとめている親しい先輩や、修行時代にお世話になった老師などの話を聞いたり目にしたりして、その涙ぐましい努力を知っている者として、反論せずにはいられませんでした。
少しでも曹洞宗に恩や愛を感じているなら、現場をもう少し知ってから書き込んでほしいだけです。
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